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●生田万 いくたよろず

アジア 日本 AD1801 江戸時代

 1801〜37(享和1〜天保8)時局策を提言し,幕政批判に決起した江戸時代後期の国学者。館林藩士の家に生まれ,藩校で主流の崎門の学風になじます,以後独学の道にすすむ。青年期に尊皇思想にめざめ,23歳で平田篤胤に入門,師篤胤の『霊能真柱』などを参考にして,天文・宇宙などに関する論説を草している。孔子や朱子学への批判も,万の現実批判意識の一端がうかがわれる。27歳のとき藩政改革の意見書「岩にむす苔」を呈上したが却下され,藩を追放され流浪の日々をおくる。上野国太田に開塾した後,越後柏崎に移って桜園塾を開き,国学を教えた。この年から翌年に越後は天災飢餓の世情であったが,時の柏崎代官は救護の策を講ぜず自ら暴利を貪るを許せず,再三の嘆願が容れられぬため,1837年(天保8)6月,同志を募って柏崎陣屋を襲撃。農民に参加者乏しく失敗し自殺した。大塩平八郎の乱に影響を受けての決起であった。

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