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●イグナーチェフ

NIS諸国 ロシア連邦 AD1832 ロシア帝国

 1832〜1908 ロシアの政治家・外交官。1858年ボハラ=ハン国との間に友好条約を結び,中央アジアの足掛りをつくった。1859年には東シベリア総督N.ムラヴィヨーフの外交顧問として清国とアイグン条約を結び,駐清公使となり,1860年には北京条約を締結して清国政府にウスリー江以東をロシア領とすることを認めさせた。1861年には外務省アジア局長となり,1864年からは駐トルコ大使に抜てきされて,パン=スラヴ主義を強調して,バルカンのセルビア人やブルガリア人の反トルコ感情を煽った。露土戦争後はロシア全権としてトルコとの和平交渉にあたり,ロシアに有利なサン=ステファノ条約を締結した。1881年に内相となり,非常警察法・反ユダヤ法・工場法などを発布して革命運動を弾圧した。1881年に辞職するが,1886年にスラヴ福祉協会の会長となりパン=スラヴ主義運動を推進した。