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●毓賢 いくけん

アジア 中華人民共和国 AD 

 ?〜1901 清末の官僚。内務府正黄旗漢軍。字は佐臣。監生出身。1888年(光緒14)山東省曹州府の知府代理となる。2年後には実授を得て,按察使・権布政使に出世した。その間,山東・江蘇の交界の大刀会を鎮圧。1898年(光緒24)に湖南に移ったが山東での義和団の仇教運動が活発化したため,翌1899年(光緒25)山東に戻り巡撫に任じられた。同年の平原事件義和拳を弾圧した蒋楷袁世敦を罷免し,義和団を公認して民間の団練とした。この結果,管内の義和団の活動を保護奨励することとなり,アメリカ・ドイツ両国公使の圧力により12月に巡撫を罷免された。1900年(光緒26)に山西巡撫となり,外国人宣教士数十名を殺害し管内の教民を弾圧した。清朝廷が各国に宣戦したさいに義和団を召集し「勤王」につとめたのは,“東南互保”をとなえ傍観した張之洞劉坤一らと対照的である。講和後連合軍から戦犯に指名され,新彊に流罪にされる途中蘭州で処刑された。