●イギリス民俗学 イギリスみんぞくがく
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イギリスでは17〜18世紀の“古物愛好家”たちによってすでに民俗学への道が敷かれていた。サー=トマス=ブラウン『迷信論』(1646)やJ.オーブリ『雑録集』(1696)など,巷間の珍奇な伝承・迷信・魔術などを集めたものは数多くあったが,なかでもH.ボーン『古俗誌』(1725)はこの道の一里塚であった。平民の俗信や儀式について考察を試みたこの小著は,1777年,J.ブランドによって増補を施されたが,その後も新たに発見された膨大な資料を加えて,1870年までのあいだに,H.ユリスおよびW.C.ハズリットによって再三増補・改訂され,通常“ブランドの民間故事”として知られる,全3巻(祭暦歳事,冠婚葬祭ほか,妖異卜占)からなる浩瀚な民俗学の宝典となった。これは18〜19世紀における斯学の一貫した高まりを語る一つの証左であった。別の好古家W.トムズは,このような機運のなかに独立した学問分野の主題を認め,1846年「アセニーアム」誌上で,〈イギリスで“民間故事”とも“民間文芸”とも呼んでいるもの〉は〈恰好なサクソン語の合成語“フォーク=ロア”−庶民の知識一で呼ぶのが最も適切であろう〉と提言して,これの蒐集を提唱した。このトムズの造語“フォークロア”は,以後,民俗学およびその対象とする民俗一般を包括する用語として広く使用されることになった。トムズのこの提唱は,いまだ近代風の及ばない鄙の百姓たちのあいだに残る習俗・行事・迷信・俗謡など往古からの伝承は急速に消滅しつつあり,これのタイムリーな収集記録が急務であるとする大方の認識を反映したものであった。この時期の主な収集には,T.パーシー『古謡拾遺』(1765),T.C.クローカー『南アイルランドの妖精伝説と口碑』(1825),R.チェンバーズ『スコットランドの民謡』(1826),J.O.ハリウェル『イングランドの童謡』(1842)などがある。1878年,上記トムズおよびG.L.ゴムを中心に,ロンドンに“民俗学協会”が設立され,機関誌「フォークロア=レコード」(のちに「フォークロア」)の発行,内外文献の配布など活発な活動を通してこの学問に大きく寄与した。これに集まったのは主として医師・弁護士・銀行家・書籍商など民間の学究で,彼らは本業の傍ら文献の渉猟と理論の枠組みに没頭し,その成果が地方の牧師や植民地の官吏やその妻女たちを刺激して資料の活発な採集を促し,1880年〜90年代イギリス民俗学の黄金時代を招来した。民俗学の定義については,同協会はゴム編『民俗学便覧』(1890)のなかで,〈古代信仰・風習・伝承の残存物を比較し,その本質を明らかにすること〉と一応の定義を与えたが,A.ラング,E.S.ハートランド,G.L.ゴム,E.クロッドら全盛期の学者たちは,E.B.タイラ一が『未開文化』(1871)で提唱した“残存物”の理論に感化され,現存する民俗はすべて太古からの残存物であって,これら残存物の綿密な検証を通して人類始原のアニミスティックな思考様式を解明しうるという共通の前提に立っていた。
このように民俗学と社会人類学の領分は画然としないところがあるが,上記『便覧』の1914年改訂版は,民俗学の研究題目をつぎのように分類明示している。[1]信仰と慣習(地と天,植物界,動物界,人間,人造物,霊魂と来世,妖怪変化,予兆と卜占,魔術,病気と民間療法),[2]風習(社会政治制度,通過儀礼,生業と産業,四季の祝祭,遊技・競技・娯楽),[3]説話・歌曲・俗諺(伝説とお伽話,俗曲・俗謡,諺・謎,諺詩・俚諺)。第一次世界大戦後は,社会条件の変化に伴い,一民間機関である民俗学協会が往時の活力を失うにつれて,イギリス民俗学の学問としての地歩も弱まり,この分野の新しい発展は社会史と口承文芸の名において展開する傾向にあるが,そのなかで,K.ブリッグズ『英国民話辞典』全4巻(1971)は,ヴィクトリア時代イギリス民俗学の伝統を継ぐ画期的業績として評価が高い。