●イギリス文学 イギリスぶんがく
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イギリス文学とは,イギリス諸島において,英語によって書かれた文学のことである。ブリテン島には,前2万5000年以降,大陸から石器文化をもった者たちが移り住んだとされているが,彼らは英語を話さなかったし,人種的にもイギリス人の祖先とはいえない。古期英語(アングロサクソン語)による文化をもった北欧の部族がブリテン島に移住し,イギリス民族が成立した7世紀ごろ,イギリス文学は始まったといえるであろう。【イギリス民族の成立とイギリス文学の起源】紀元前2000年以上も前の新石器時代のブリテン島は,ストーンヘンジなどの巨石文化を残した古代イベリア人の居住する島であった。紀元前5,6世紀ごろになって大陸から侵入し,先住民族を駆遂して独自の文化を築いたのがケルト民族である。ケルト民族は,有史時代の初めには,アルプス以北のヨーロッパ中部および西部に広く分布していた一大民族であった。ブリテン島に移住したケルト民族は,北方系のゲール族(今日のアイルランドや西部スコットランド地方に残存する)と,南方系のブリトン族(今日のウェールズ・コーンウォール・ブルターニュ地方に残存する)に大別しうる。
ケルト民族の侵入はキリスト教の伝来以前であり,彼らの宗教はドルイド教であった。彼らはチュートン民族によって大陸から追われ逃亡してきた民族であったが,ブリテン島に居住するようになってからも,たえず抑圧され,物質的にも恵まれなかった。このような宿命と,苛酷な現実への幻滅と反動から,夢みがちで想像力に富む性情をもつようになったと考えられる。イギリス文学の詩的想像力に富める部分は,ケルト民族の資質と文化的遺産によるものといわれている。中世ロマンスの華,アーサー王伝説群は,ブリトン族の遺産であり,オシアン伝説群はゲール族の遺産である。
前55年,ジュリアス=シーザーの率いるローマ軍の侵入により,およそ400年のあいだブリテン島はローマ人の支配下に置かれ,ローマ文明・文化の影響を受けることになる。ローマ軍の占領下,ブリトン人を率いてローマ軍に頑強に抵抗したブリトン人の族長があった。アーサー王と円卓の騎士たちの伝説は,このような歴史的事実から発生したとされている。ローマ軍は本国ローマが西ゴート族に脅かされ始めたため,ついにブリテン島から撤兵せざるを得なくなり,5世紀の初頭ローマの支配は終わる。
そのころ,今日のデンマークや北ドイツのあたりからジュート・アングル・サクソンの3種族がブリテン島南東部に侵入し,先住民族を追放して王国をつくった。3種族はイングランドの七つの州を支配し,七王国制の時代を迦える。彼らが今日のイギリス人の中核をなすアングロ=サクソンであり,彼らの言語,すなわち古期英語で伝えられた口承文学がイギリス文学の起源である。
【中世前期(古期英語時代)の文学】アングロ=サクソン人たちの口承文学は,7世紀ごろ,今日の英語とまったく異なる古期英語によって成文化された。この時代を代表する最高傑作が,3,000行以上の長大な英雄叙事詩『ベーオウルフ』である。この叙事詩は2部からなっており,第1部では,スウェーデンの王子ベーオウルフがデンマーク王を援けて,沼地の怪物グレンデルを退治し,第2部では,故郷へ帰ったベーオウルフが,国を荒らす火を吐く龍を退治し,自らも致命傷を受けて死ぬという物語である。物語の素材・背景・宿命的人生観等はゲルマン民族特有のものであるが,主人公ベーオウルフ王子は,成文化された時代のイギリス的な理想的英雄像を反映する人物となっており,そういう観点からイギリス文学の原点といえるだろう。
また,6世紀にはキリスト教が伝来し,キャドモンは旧約聖書から題材をとり,キニウルフは新約聖書から題材をとって,それぞれ宗教詩を書き残している。
【中世後期(中期英語時代)の文学】アングロ=サクソン人たちは,9世紀ごろからたびたびデーン人の侵入を受けていたが,ついに1066年,ノルマンディ公ウィリアムに征服される。これによって,それまでの北欧文化にラテン文化が混入融合することになり,今日のイギリス文化の基礎ができ上がった。当初,支配階層の使うノルマン=フランス語がもっぱら公用語として使用されたために,古期英語はしだいにその影響を受けて著しく変化し,やがて中期英語が形成される。13世紀に入ると,それまでのノルマン=フランス語にとって代わって中期英語が公用語としての地位を回復し,中期英語による優れた文学作品が次々に生まれた。
まず当代最大の詩人であり〈英詩の父〉と称せられたジェフリー=チョーサー(1340〜1400)は,人間性への鋭い洞察,暖かい共感とユーモアをもって大作『トロイラスとクリセイデ』や『カンタベリー物語』を書いた。後者は,1万数千行にも及ぶ韻文と散文からなる物語集であるが,このなかでは当時のイギリス社会各階層の人物が,その服装・言語・行動にいたるまで生き生きと描かれており,中世から近世への過渡期を知ることができる。また,寓意的・宗教的夢物語『農夫ピアズの幻』を書いたウィリアム=ラングランドや,『恋人の告白』を書いたジョン=ガウァもこの時代を代表する詩人である。
またこの時代には,ノルマン人によってロマンスという文学形式が伝えられ,高潔,礼節を尊ぶ騎士道精神をテーマとするロマンス(物語文学)が書かれた。このなかで最も重要なのが,ブリテン人の伝説がもとになって生まれたアーサー王伝説群である。この題材は後世の詩人や小説家たちも取り上げ,イギリス文学のなかの主要なテーマとなっている。アーサー王伝説の集大成をしたのは,トーマス=マロリー(1406?〜71)で,彼は,格調高い散文で『アーサー王の死』を書き,アーサー王をイギリスにおける民族的英雄にまで高めた。
以上の文学作品は,主として上流階級の人々の楽しみであったが,一方一般民衆の楽しみとしては,韻文で物語やエピソードを歌うバラッドという素朴な文学形式があった。当時数多く作られ愛好されたバラッドは,シャーウッドの森に住む義賊ロビン=フッドをめぐるものである。
【ルネサンス時代の文学】14世紀中葉にイタリアに興ったルネサンスの波が,島国イギリスに伝わったのはやっと16世紀になってからであった。イギリスにおいても,ギリシア・ローマの古典文芸の再発見,科学の発達,宗教精神の覚醒,古い制度・束縛からの人間性の解放等をその特色とする。人文主義者トーマス=モア(1478〜1535)の『ユートピア』は,理想的共産社会を描いてイギリスの社会制度を諷刺したものであるが,理想国家へのあこがれを表現したいという意味において,ルネサンス精神を反映したものである。
ワイヤットやサリー伯爵は,イタリアからソネット(14行詩)という叙情詩の形式を導入した。この詩型は,スペンサー・シドニー・シェイクスピア等によって試みられ,彼らはソネットの連作を書いた。また,エドモンド=スペンサー(1552〜99)の『妖精女王』は,アーサー王伝説から題材を得た長大寓意詩である。
中世の宗教劇から始まった演劇はエリザベス女王の時代に花開き,一つの完成をみた。トーマス=キッドやクリストファー=マーロー等,いわゆる大学出の才人といわれる優れた劇作家たちが輩出したが,〈万人の心をもった〉とされるウィリアム=シェイクスピア(1564〜1616)が最も才能豊かな天才劇作家であった。彼の残した詩7篇と劇36篇の評価は今日にいたるまでゆるぎない。
特異な比喩による主知的な詩を書き,形而上学派と呼ばれた詩人たちがいたが,そのなかでも最も優れていたジョン=ダン(1572〜1631)は,シェイクスピアと同時代人でありながら今日にも通じる新しい詩風をもっていた。
【ピューリタン革命時代の文学】ヘンリー8世の宗教改革によって,イギリス国教会が成立したが,これはカトリックとカルヴィニズムとの妥協折衷物であった。そこでこれにあき足りない非国教徒たちはオリヴァ=クロムウェルのもとに参集し,ピューリタン革命を成就して,一時期にせよ共和政体が誕生した。劇場が閉鎖され,宗教的に禁欲的な風潮が尊ばれた時代に,人間的な文学は期待しにくい。クロムウェルの秘書官を務めた詩人ジョン=ミルトン(1608〜74)は,聖書を題材に叙事詩『失楽園』『復楽園」『闘士サムソン』を書き,この時代を代表する詩人となった。また,ジョン=バニヤン(1628〜88)は,宗教的寓意物語,『天路歴程』を書き,文学のもつ人間性とピューリタニズムを寓意物語のなかで融合させることに成功している。
【王政回復時代および古典主義時代の文学】チャールズ2世が議会に迎えられ王政が回復すると,ピューリタン時代への反動から,国中に一時乱脈・放縦な気風がもどりかけたが,やがて名誉革命をへて,理性と抑制の時代へと移っていった。この時代に英語の散文が確立し,諷刺文学が生まれた。共和政時代に禁じられていた演劇は復活したが,エリザベス朝以来の劇の伝統は断たれ,フランスの劇作法の影響を受けた風習喜劇が隆盛となった。劇作家としては,ウィリアム=コングリーヴ(1670〜1729)やジョン=ドライデン(1631〜1700)の名前をあげることができる。とくに後者は,政治的諷刺詩『アプサロムとアキトフェル』や『劇詩論』を書いて詩や評論のほうでも活躍し,この時代を代表する詩人劇作家であった。
18世紀に入ると,アレキサンダー=ポープ(1688〜1744)を頂点とする古典主義的傾向の強い時代となる。いわゆる〈散文と理性の時代〉となり,秩序・均衡・常識を重視する風潮が文学においても主流となる。作詩は美的洗練が目標となり,詩人たちは因習的な詩語を盛んに用いて技巧をこらした。ポープの『批評論』や『人間論』まで,散文でなく,英雄詩格を用いて韻文で書かれなければならなかった時代思潮のなかでは,叙情詩があまりふるわなかったのも当然であろう。一方,平明達意の近代の散文が完成し,ジョナサン=スウィフト(1667〜1745)は散文で当時の政治・社会・思想等を諷刺する『ガリヴァー旅行記』を書いた。散文の発達とともにジャーナリストの活躍が始まり,社会・風俗・政治・宗教・文学等を論ずるエッセイが盛んに書かれるようになった。18世紀後半は,サミュエル=ジョンソン(1709〜84)と彼をめぐる文人たちの時代であった。ジョンソンは詩や小説も書いたが,その本領は最初の英語辞典の編さんと『イギリス詩人伝』の執筆に発揮された。従来の責族階級に代わって新しい中産階級が興り,個人の自覚と社会的意識がしだいに強くなっていった。また,かつての荒唐無稽なロマンスに代わって,現実の生活を題材とし,英雄でなく平凡な市民を主人公とする物語を人々が求めるようになった。写実的描写力をそなえた散文の発達と相まって,小説というジャンルが育つ条件が整ったわけである。この時代に活躍した4人の小説家たち,すなわち,サミュエル=リチャードソン<(1689〜1761)ヘンリー=フィールディング(1707〜54)・トバイアス=スモレット(1721〜71)・ローレンス=スターン(1731〜68)等は近代小説の祖というべきであろう。【ロマン主義復興期の文学】18世紀末から19世紀初頭にかけては,国外ではアメリカの独立宜言やフランス革命がおこり,国内では産業革命が社会機構や国民生活を変革し,文学においても新しい時代の到来が待たれる時代であった。そしてこの新しい時代の到来を告げる記念すべき事件が,ワーズワースとコールリッジによる『抒情民謡集』(1798)の出版である。彼らはこの小説集の序文において,理性ではなく想像力や情緒を重んじるロマン主義の時代の到来を宣言した。ロマン主義復興は,文芸復興にも比べられる新しい汎ヨーロッパ的文芸思潮である。それは,自然への愛,中世趣味,異国情緒,自我の主張と社会への反抗,理想主義,美への情熱等をその特質とする。〈詩は強烈な感情の自然なる流出である〉とするウィリアム=ワーズワース(1770〜1850)の主張に,古典主義時代への訣別を読みとることができる。自然詩人と称せられたワーズワースの詩は,自然と人間との感応から生まれ,自然のなかに人間の道徳的根拠を求めるものであった。詩人の魂の成長を歌った自伝詩『序曲』は代表的傑作である。彼の友人サミュェル=テイラー=コールリッジ(1772〜1834)とその義弟ロバート=サウジー(1774〜1843)もこの時代を代表する詩人たちである。以上の3詩人が確立した新しい詩の方向をさらに押しすすめた詩人たちは,情熱と自由の詩人ジョージ=ゴードン=バイロン(1778〜1824)と,愛と革命の詩人パアシイ=ビッシ=シェリー(1792〜1822)と,美至上主義の詩人ジョン=キーツ(1795〜1821)であった。彼らはいずれも若くして外国で客死した。ウォルター=スコット(1771〜1832)は,ロマン主義の特質である中世趣味と写実主義の技法をもって歴史小説を生み出した。奔放な空想と巧みな物語からなる彼の小説は,大がかりな事件と壮大な背景とが完全に調和した雄大なロマンスであった。一方,同時代の女流作家ジェイン=オースティン(1775〜1817)は,スコットと対照的である。中産階級の平凡な日常茶飯事や人物の心理まで女性らしい繊細な筆致で描いた彼女の小説は,ロマン主義より自然主義に近い作風を示し,今日からみればスコットよりも新しい。種々の評論雑誌が創刊され,エッセイが盛んに書かれるようになった。18世紀のジャーナリズムの発達とともに表現力を増していった散文は,この時代の優れたエッセイストたちによって一層磨きをかけられて,深い感情や豊かな想像力にたえるものとなった。
【ヴィクトリア朝の文学】チャールズ=ダーウィンの進化論は,自然化学の分野のみならず,当時の宗教界・思想界にも大きな動揺を与えずにはおかなかった。スペンサーは進化論の哲学を建て,トーマス=ハクスリーは不可知論を唱えた。一方,大英帝国は富の増大によって繁栄の頂点に達したかの感があり,政治の民主化や物質的充足は,広く中産階級にいたるまで生活の安定と教育の普及をもたらした。人々は人間の文明に疑問をもたず,国家の輝かしい未来を信じた。このような時代思潮や社会情勢は,当然文学にも反映した。この時代を代表する詩人は,アルフレッド=テニスン(1809〜92)とロバート=ブラウニング(1812〜89)である。テニスンは,この時代のもつさまざまな問題を健全な道徳と穏健な進歩思想をもって歌い,国民詩人となった。またブラウニングは,劇的独白という手法を編み出し,心理的で難解な詩を書いたので,当時はテニスンほど一般にその真価を認められなかったが,作品においても私生活においてもヴィクトリア朝の楽天的理想主義をつらぬいた。ヴィクトリア朝も後半に入ると,芸術のための芸術を追求する審美主義的傾向が現れ,ダンテ=ゲィブリエル=ロゼッティ(1828〜82)等を中心とするいわゆるラファェロ前派運動が絵画と詩に影響を与えた。かつてのように,詩が文学の一番中心のジャンルであった時代はすぎ,近代小説が中産階級に多数の読者を獲得していった。この時代を代表する2人の作家は,チャールズ=ディケンズ(1812〜70)とウィリアム=メイクピス=サッカレー(1811〜63)であろう。前者は,時に誇張や感傷主義の欠点もあるが,機知とユーモアをもって人間を生き生きと描き出し,当代随一の流行作家となった。また後者は,上流社会の偽善をあばき.人間の功利主義を諷刺し,イギリス的リアリズムに徹した。この時代は女流作家の活躍もめざましく,エリザベス=ガスケル夫人(1810〜65)やジョージ=エリオット(1819〜80)等によって,小説の主題が単なる娯楽の域を脱し,社会・政治問題や人間内面の道徳的葛藤にまで広げられていった。こうして小説という文学形式は,発展をとげ,ドーセットの自然を舞台に運命の苛酷さを描いたトーマス=ハーディ(1840〜1928)で頂点に達したかの感がある。この時代の批評界は,トーマス=カーライル(1795〜1881)やマシュー=アーノルド(1822〜88)等を得て,批評家の活動範囲は文芸批評から文明批評・社会批評にまで及んだ。
【20世紀の文学】1901年のヴィクトリア女王の崩御とともに20世紀は始まる。前半世紀に2度の世界大戦を経験したイギリスは,大英帝国としての威信にもかげりがみえ始めた。物質文明の進歩・発展は,豊かで便利な社会の代わりに,精神の荒廃をまねき,かえって物心両面に暗い影をおとす結果となった。世界は狭くなるとともに,イギリスの文学は,諸外国の文学と相互に影響し合い世界文学としての価値と影響力をもつにいたった。時代の不安・混迷・絶望感等は,ただイギリス1国だけの重荷でなく,世界の国々が等しく負う重荷となり,これが当然現代文学に反映する。今世紀初頭,ジョージ王朝詩人たちは伝統的な叙情詩を書いていたが,やがて第一次世界大戦は,戦争のむなしさと幻滅を歌う戦争詩人たちを生んだ。大戦後の荒廃と人心の不信をテーマとしたT.S.エリオット(1888〜1965)の長詩『荒地』は,当時の詩壇に技巧と内容の両面において大きな衝撃を与え,その影響は今日にまで及んでいる。全体主義国家の誕生やナチスの台頭で国際的に危機感が高まっていた1930年代には,政治的関心を示す詩を書いたいわゆるオーデン=グループも現れた。第二次世界大戦後は,彼らに代わって,新ロマン主義的傾向をもつ,いわゆる新黙示派の詩人たちが活躍する。一方,これに対する反動として,新古典主義的傾向の詩人たちも現れた。このようなさまざまな詩風を把握し,現代詩人たちをイギリス文学の伝統のなかで評価するには,まだもう少し時間がかかるであろう。小説についてみると,大戦後の混沌とした世相のなかでユートピア小説を書いたのはオルダス=ハックスリー(1894〜1963)であった。また,ジェームズ=ジョイス(1882〜1941)の『ユリシーズ』は,「意識の流れ」を応用した,内容的にも技法的にも伝統的な小説の概念をまったく打ち破る実験小説であった。このような心理主義小説の実験はヴァージニア=ウルフ(1882〜1941)も試み,難解であるが詩的な文体の佳作を残している。現代文明が人間を頽廃へと追いやっていると考え,人間性の回復のために旧来の道徳律を否定し原始の生命の根源に根ざす健全な性の確立を主張したのは,D.H.ロレンス<(1885〜1930)であった。彼の小説は,ヴィクトリア朝の教養主義に対するアンチテーゼという意味でも現代を代表しうるであろう。
【イギリス文学の特長】ヨーロッパという広い視野からみれば,イギリスは辺境の島国である。このような地理的条件が,古代中世のイギリス文学に影響していることは当然である。文化的にも文明的にも,ルネサンス以前のイギリスは辺境の後進国であって,ヨーロッパ文明・文化の担い手としての地位を獲得したのは,18世紀以降のことであった。ブリテン島に,1,000年以上にも及ぶ文学の伝統を築き上げたイギリス民族は,最初に述べたように,単一民族ではなくアングロ=サクソンを根幹とする,ケルト・デーン・ノルマン等の雑多な民族の混成からなっている。この民族の混成が,特異な気候風土のなかでイギリス文化の特異性を生み出し,豊かな想像力に恵まれて優れた文学の伝統を築いたといえよう。イギリス文学の特長について,大人の文学,常識の文学,含蓄のある文学等の印象が一般にいわれることがある。このような一般化は,イギリス文学の本質と多面性を見失う危険を伴うであろう。世界文学の視座からみれば,イギリス文学の特異性も現代はしだいに目立たなくなっているといえるかもしれない。しかし,イギリス文学の伝統は,ブリテン島の気候風土と民族固有の風格・慣習・気質等が培ったものであり,矛盾を孕んで一般化はし得ないとしても,そこにイギリス文学の特質を指摘することは可能であろう。