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●イギリス重商主義政策 イギリスじゅうしょうしゅぎせいさく

ヨーロッパ 英国 AD 

 近代資本主義形成期において,資本主義を促進させるための国家的保護政策の体系である重商主義は,16世紀ごろから18世紀にかけてヨーロッパ諸国に現れたが,典型的には資本主義の形成が比較的順調であったイギリスにおいて展開された。しかし,それは終始同一の本質によって貫かれていたのではなく,社会と国家のブルジョワ化の度合,したがって,また政策の担い手の変化によって変貌し,およそ市民革命を境として二つの段階にわけられる。初期の段階は,絶対主義権力のもとで商業資本との癒着のなかでとられたもの,後の段階は,産業革命期にいたる初期ブルジョワ国家のもとで行われた産業資本のためのもので,これこそが本来的な意味での重商主義だとされている。

【初期段階】イギリスでは,13世紀ごろから封建的土地所有が崩壊し始め,領主権の弱体化につれて封建農民のなかから独立的自営農民(ヨーマン)が階層的に形成されてきたが,彼らのうちに毛織物工業を兼営するものが現れ,都市のギルド規制を逃れて農村に移住した都市の小親方層とともに,農村工業としての毛織物工業の隆盛を担った。その結果,毛織物工業は,産業革命にいたるまでのあいだ,イギリスの最も基軸的な産業の地位についた。また,この毛織物工業を主要な生産的基礎として,イギリス海外貿易も著しく伸長し,毛織物輸出に従事した冒険商人たちは,マーチャント=アドヴェンチャラーズ組合に結集して,国王から貿易独占権を手に入れるとともに,絶対主義権力の強力な財政的支柱となった。こうして,国家権力と商業資本がかたく結びつきながら打ち出されてきた経済政策は,商業資本の利害を第1とし,それと両立しないときには下からの資本主義の芽を阻害するものとして現れた。産業政策においては,農村で発展してきた毛織物工業のなかで,資本主義の前段階たるマニュファクチュアが形成され,農村の織元の経営が都市の織元のそれを脅かすようになると,彼らに対する問屋制支配を強化するか1555年の「織布工条令」にみられるように,ギルド規制を強めてマニュファクチュアの成長を阻もうとし,他方,絶対主義権力が商業資本に諸種の独占権を与え,上からの資本主義化がはかられ,マインズ=ロイヤル会社のような特権的マニュファクチュアも現れた。このような商業資本優位の政策は外国貿易においても認められ,マーチャント=アドヴェンチャラーズ組合の貿易独占が東インド会社の出現にいたる諸多の貿易独占会社の設立によって拡大分割され,また毛織物と新大陸産銀の交換貿易ともいえる新大陸貿易の利害は,ヨーロッパの銀と東洋の奢侈品たる香料との交換貿易である東インド貿易の利害の後塵を拝した。また植民地政策においても,「旧植民地制」の初期における最大の関心事は,植民地の貿易・海運を本国が独占することにすぎなかった。

【本来的重商主義】清教徒革命につづき名誉革命を遂行することにより,イギリスのブルジョワ国家建設への道が敷かれるにおよび,イギリス重商主義政策は,これまでの商業資本優位のものから産業資本の発展を助長する政策体系へと変貌した。農民から土地を切り離すという最も基礎的な原始蓄積の過程が,17世紀から18世紀にかけて“囲い込み”によってしだいに国家の承認のもとに推進され,また国内産業の発展に必要な原料の輸出や国内製品と競合する商品の輸入を禁止し,またひ弱な産業への挺入れや輸出の奨励など,国内産業保護政策が強力に展開され,なお国債制度や近代的租税制度の創設・整備が産業資本の活動を容易にした。また「旧植民地制」の再編整備が,本国産業のための原料生産地,ならびに本国産業と競合する産業をもたない本国製商品のための優良な市場として,植民地を本国産業保護政策体系のなかに編み込む方向で行われた。

 こうして本来的な重商主義は.産業資本の発展を促す保護政策体系であったが,18世紀後半から産業革命によって資本主義が確立されるようになると,産業資本のための保護政策はもはや不要となり,むしろ自由が求められるようになる。アダム=スミスの重商主義批判がそれを物語っている。

〔参考文献〕大塚久雄『近代欧州経済史序説 上』1944,日本評論社

大塚久雄『大塚久雄著作集第2巻』1969,岩波書店

張漢裕『イギリス重商主義研究』1954,岩波書店

渡辺源次郎『イギリス初期重商主義研究』1959,未来社