50音順    検 索

●壱岐 いき

アジア 日本 AD 

 長崎県東松浦半島の北北西約25kmの海上にある島で,対馬とともに中国と朝鮮と日本を結ぶ海上交通の要衝として古代より開けていた。もと西海道11カ国に属し大化の改新で壱岐・石田の2郡に分かれたが,現在は壱岐郡にまとめられている。1019年(寛仁3)刀伊(とい)が来寇し,国守藤原理忠(まさただ)は防戦して戦死した。鎌倉時代には少弐氏が守護を勤めていたが,平安末期から鎌倉時代・南北朝時代にかけて倭寇がこの島などを根拠地として朝鮮・中国大陸沿岸を荒しまわった。鎌倉後期の文永・弘安の役では全島が占領された。室町時代には松浦(まつら)党の諸氏が支配し,戦国時代には,肥前の波多氏が領したが壱岐六人衆と呼ばれる人々に滅ぼされ,松浦氏が全島を支配した。江戸時代には平戸藩主松浦氏の城代・郡代が置かれ24カ村を治めた。明治維新に至り,廃藩置県により1871年(明治4)7月,平戸県となり同年11月,長崎県壱岐郡となって現在に至っている。

01

02