●イエンバイ事件 イエンバイじけん
アジア ベトナム社会主義共和国 AD
ヴェトナムの民族運動は,20世紀に入るとこれまでの勤王運動(カンヴォン運動)にかわり,開明「文紳(ヴァンタン)」(知識人)の指導する改良主義的色彩を帯びる。それらの指導者は東游運動(ドンヅー運動)のファンボイチャウと共和制を指向するファンチュチンであった。チンらはハノイに東京義塾(ドンキンギアトゥック)をおこし,学生や大衆にローマ宇による新しいヴェトナム文字国語(クォックグー)を普及させる運動をひろめた。フランス植民省も19世紀後半にヴェトナムを領有以来,ヴェトナム語のローマ字化を意図していたものだが,運動が識学即政治運動であるため1907年わずか9カ月で制止された。1910年代の民族運動は停滞気味で,1920年代に入ると輸出産業の発展による社会的変化,世界大戦後世界的風潮により運動は再び活発化した。1926年以後半の弾圧後,中国改革の影響を受けた越南光復会(ヴェトナムカンフウホイ)やチンの流れ(共和制運動)から1927年越南国民党(ディントナムコクザンダイ)が阮大学(グエンダイホック)らで発足する。イエンバイはハノイの西北約190km,紅河中流域左岸にある要地で,雲南省に対する植民地軍の拠点であった。国民党は兵営襲撃で大衆の蜂起を意図し,1930年2月実行し成功したが,党員のほとんどが逮捕され極刑に処された。