●イエメン=アラブ共和国 イエメン=アラブきょうわこく
AD
アラビア半島南西部の国,アラビア語では,ヤマンという。面積19万5,000平方km,人口608万人(1982年推計)。首都はサヌア(人口27万7,817人,1980)国の中央をアラビア半島最高の山岳地帯が南北に走り,紅海沿岸のティハーマ地方は乾燥し,砂漠地帯となっている。住民の大部分はアラビア人で,イスラム教が国教となっている。古くから農耕が行われ,古代文明発祥地の一つとなり,香料の産地として知られ,ギリシア人やローマ人に“幸福なアラビア”と呼ばれた。紀元前1世紀頃にはヒムヤル王国がおこり,ユダヤ教を受け入れた。その後,575年にササン朝ペルシアの支配下におかれ,7世紀初めにはアラブ帝国の版大となりイスラーム化された。9世紀末になると,ザイド派のラシード朝が興り,現在の国土の原型となった。16世紀からはオスマン=トルコ帝国の支配を受けるようになったが,1911年ザイド派のイマーム=ヤフヤー(1869?〜1948)が反乱をおこし,1918年にイエメン王国として独立を達成させ,政権を握って祭政一致の専制政治を行った。その後,サウジアラビアと国境紛争をおこし,1934年の“サヌア条約”と1951年のイギリスと結んだ国境に関する条約によって,現在の国境が画定された。イマーム=ヤフヤーの暗殺(1948)後には,その子イマーム=アフマド(?〜1962)が国王となり,1951年に諸外国と初めて外交関係を結び,西欧先進諸国の援助のもとで国内開発に着手したが,アフマド王の死(1962)後,アブドラ=サッラール大佐(1917〜 )がクーデタをおこし,共和政権を成立させた。その後サウジアラビアの支援をうけた王制派と共和国軍との内戦がしばらく続いたが,1970年4月にサウジアラビアの調停で内戦は一応の終息をむかえた。この間1967年11月にサラールが失脚し,共和国評議会が設立されて,イリヤーニ(1901〜 )が議長に就任した。1970年12月には共和国憲法が制定されて,国家の大要が固まったが,南イエメンとの統一間題や王制派の不満などが原因で不安定な政治状態が続いている。
主産業は農業で,高原地方はアラビア半島の中でもっとも雨量に恵まれていて農耕に適し,サトウキビ.大麦・オートムギ・ダイズ・トウモロコシなどの穀類や,ブドウ・オレンジ・コーヒーなどを栽培している。特にコーヒー豆はモカコーヒーとして知られ,重要な輸出作物となっている。一方,ティハーマ平原では綿花やデイツが栽培されている。製造業では,セッケン・皮革製品・台所用品・宝石細工などがあり,バジルとサナアには紡績工場がある。また1955年以来イエメン開発社が石油開発を進め,ホデーダ港には石油貯蔵タンクが建設された。
![]()