●イエズス会(西洋) イエズスかい
AD1534
カトリック教会に属する修道会。1534年イグナティウス=ロヨラによって創設され,教育・伝道・慈善活動で著名。【創設期】マンレサの洞穴で修業中神の霊を体験して修業の手引書『心霊修業』を執筆したロヨラは,パリ大学で勉学した時期にフランシスコ=ザビエル(シャヴィエル)ほか6人の同志を得,1534年彼らとともにモンマルトルの聖堂で清貧,貞潔とイェルサレムでの伝道を誓い,その一団は1540年教皇から独立の修道会として認可された。「イエズス会」とはロヨラがその修道会に与えた名称である。この新修道会は時代に即応して中世以来修道士の伝統であった制服・合誦祈祷・義務的日課などを廃するとともに,会土に厳しい修練と勉学を要求し,正規の会士になるためには長期の研鑽と試験をへなければならないことになっていた。それとともにイエズス会の特色をなしていたのは服従の規律であり,会士は教皇に対してのみならず,修道会内部の上長に対しても絶対的服従を誓わなければならなかった。ロヨラは〈より大いなる神の栄光のために〉をイエズス会の宗教的標語としたが,それらはこの理念の実現のための活動に不可欠と考えられたのである。イエズス会はべつだん反宗教改革を意識してつくられたわけではないが,教皇の要請によってヨーロッパ内伝道に従事し,反宗教改革のために大きな成果をあげたのは,それらの特性によるところが大きい。イエズス会はこのヨーロッパ内伝道のほかに異教地布教と学校経営という二つの目標を追求した。イエズス会が創設されて数カ月後にザビエルがアジア布教に出立したことからも知られるように,異教地布教はこの修道会の当初からの関心事であり,会士は大航海時代の波に乗ってアジア諸国や新大陸での布教に活動した。インド・日本における布教ではザビエルが,中国における布教ではマテオ=リッチがとくに著名である。しかしイエズス会の布教は上記の地域だけに限られず,会士の足跡が及ばない地方は世界に存在しなかったといってよい。学校経営ではイエズス会はヨーロッパの各地に学校を設立し,古典学のみならず新しい自然研究の成果も大胆に取り入れて教育を行った。
【発展と歴史】正規の会士となるためには厳しい修練と試験に堪えねばならなかったにもかかわらず,会土の数はロヨラの死の年である1556年に約1,000人に達し,1626年には1万5,544人,1749年には2万2,589人にのぼった。イエズス会の経営する学校は1615年で373校,1706年で769校を数え,それらの学校に学ぶ学生の数は17世紀末で2万人にのぼった。また会士は宮廷付聴罪師や大学教授として活動することが多かった。しかしこのようなイエズス会の発展とその教皇至上主義は反感をひきおこし,それはフランスでとくに激しく,ジャンセニストの攻撃・啓蒙哲学者の嘲笑・宮廷での策謀がイエズス会に向けられた。1759年ポルトガルでイエズス会士の追放と彼らの財産の没収がなされたのを皮切りに,1765年フランスで,1767年スペイン,ナポリで同様の処置がとられ,それらの圧迫に屈して教皇クレメンス14世は1773年イエズス会の解散を命じた。ただロシアでのみは皇帝エカチェリーナ2世が教皇の解散令を無視したので,少数の会士からなるイエズス会がそこで命脈を保ち得た。フランス革命後の1814年教皇ピウス7世は同会の復活を認め,その後同会はカトリック教会内部の最大の修道会たる隆盛を回復した。現在わが国では同会は上智大学・六甲学園・栄光学園を経営し,広島教区を担当している。