●イエス
BC4
前4?〜後30? キリスト教の開祖。その意味で,イエス=キリストと呼ばれる。キリストとは救世主(メシア)のことである。【出生と少年期】イエスはユダヤのベツレヘムにおいて聖霊によって懐妊したマリアより生まれたと『新約聖書』の「マタイ福音書」と「ルカ福音書」に記されている(処女降誕)。イエスはユダヤ王ヘロデの追及を逃れ,マリアとその夫ヨセフに伴われてエジプトに行ったが,ヘロデの死後,ガラリヤのナザレに住んだ。少年期のことは両親に伴われてイェルサレム神殿に参った折,大祭司・律法学者たちと問答し,その知恵によって彼らを驚嘆させたことくらいしか伝えられていない。
【受洗とガリラヤ伝道】イエスは30歳ごろ洗礼者ヨハネから洗礼を受けた。おそらくイエスは初めヨハネの弟子だったのであろうが,『新約聖書』では両者の地位を逆転させ,ヨハネをイエスの先駆者とし,イエスは辞退するヨハネに強制して彼に受洗させたと記している。受洗後,彼はユダの荒野においてサタン(悪魔)の誘惑を退けたのち,ガリラヤにおいて〈神の国は近づいた。悔改めて福音を信ぜよ〉と語りかけて伝道を開始した。彼はペテロ・ヤコブ・ヨハネなどの12弟子を選んで,伝道活動を助けさせたが,同胞イスラエル人の救済をおもな関心とし,異邦人・サマリア人のもとに行くなと説いた。フェニキア(またはカナン)婦人の子や異邦人百人隊長の下男を癒したのは,これらの女性や軍人の彼に対するひたむきな信頼がイエスの心を動かした例外的な行為であった。総じて彼が行った治癒や多くの人に食物を与えた奇跡は信頼関係にもとづいて彼の憐れみの心の発動によるもので,奇跡行者のように業を誇示するものではなかった。
【ユダヤ教との関係】このように彼は「山上の説教」においてもユダヤ教の中心であるモーゼ律法の尊重を示すとともに,その形式的墨守を批判し,取税人・罪人たちと交わり,安息日に病人を癒し,律法学者・パリサイ人と対立した。彼の説教に用いられたたとえ話はすべてが新しいものではないが,彼が語ると,そこに清新な生命と力がみなぎり,聴衆の心を深くとらえた。「放蕩息子」や「よいサマリア人」のたとえ話はとくに有名である。彼がユダヤ教の指導者たちのうちで主として論争の相手となったのは上流の大祭司よりも,中流の律法学者・パリサイ人であるが,彼らをつねに偽善者とみなしたわけではなかった。
【イェルサレム行と死・復活】洗礼者ヨハネがガリラヤのペレアの領主ヘロデの不倫を攻撃したために殺されると,イエスもガリラヤから退去し,ユダヤに進んでイェルサレムに入城すると,民衆は彼に救世主の期待をかけて歓呼した。彼はイェルサレム神殿に行き,神殿の境内で取引をする両替商・商人などを,〈祈りの家〉を〈強盗の巣〉としていると非難し,彼らを追放して〈宮清め〉を断行した。これら商人たちの営利活動によって利益を得ていた大祭司たちはイエスの越権行動に憤激し,律法学者・パリサイ人と共謀してイエスを捕えようとしたが,民衆がイエスを支持しているあいだは暴動がおこることを恐れてさしひかえていた。しかし民衆もイエスの説く〈神の国〉がローマ帝国の支配からの解放を約束する政治的・現実的なものではない霊的なものであることを知ると,しだいに彼から離れていった。イエスはときの迫ったことを自覚し,12弟子と最後の晩餐をとったのち,ゲッセマネの園で彼を裏切ったイスカリオテのユダの手引きによってユダヤ人に捕えられ,ユダヤの評議会で大祭司の審問によって涜神罪と判決され,さらにその身柄を引き渡されたローマ帝国のユダヤ総督ピラトに,ローマ皇帝に対して反乱を企てる者として訴えられ,十字架刑に処せられた。しかし死後3日目に彼が復活したとの信仰が弟子たちに生まれ,イエスこそ古来約束されたメシアすなわち主キリストとの告白にもとづいて原始キリスト教が成立した。