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●家 いえ

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 たんに家屋を意味するほかに,社会的・法的な概念としての家族集団の意にも用いられる。

 “いヘ(え)”の言葉の語源については,“寝戸”の義とする説(大槻文彦)と,“い”は発語で無意義だが,“へ”は“かまど”をさすという説(本居宣長)がある。分家することを“かまど”を分けるというのもここからきている。また,“ヘ”は中心点のこと,つまり家の中心である火の意味ともいわれ,このために“いへ”が戸数の単位や家屋を意味している。しかし,家族集団を意味する家は,つねに同一家屋のもとに居住していたとは限らないし,その必然性もない。家は家族員を抜きにして実在しないが,家族と違って抽象的な存在であり,永続性・超世代性を特色としている。家を構成する家族の数が昔にさかのぼったほうが多く,いわゆる大家族といわれた時代も確かにあった。しかし大家族はその必要性さえなければ,小さく分裂する性質をもっていたので,社会が平和になり,交通が発達し,遠方に分家するものが増えてくると,自然に小規模の家へと移っていった。そしてついには夫婦中心の近代家族になったのである。

【家の祭祀】家には家長があって家の永続をはかる努力をした。家の成立には,かつては土地がただ一つの基礎であった時代がある。そのため,田地が家督であり,家存続の要件であった。したがってその開発なり,相伝から家の世代を数えはじめた。つまりどの家にも初代の先祖があり,先祖祭を絶やさぬことが家長の大切な任務であった。日本人は先祖を祀るとともに,その死後自身がまた子孫によって祀られることを予期していた。先祖祭をすることは正統および嫡(ちゃく)流の主人夫妻の権利であり,位牌(いはい)や墓地が,家長夫妻の生活から切り離せないものになっている。

【まき】いずれの時代にしろ,家は単独で存在しているものではなかった。同一の先祖をもつ同じ血筋のもの,すなわち一家一門の結合によって生活していた。“まき”はそれを意味する言葉であった。“まき”と普通にいう親類とは違っていて,“まき”には姻戚すなわち女系の親族は含まず,かつ6親等以外の同系のものをも入れていた。したがって親類よりは広い範囲に考えられている。通常は家の先祖祭も,“まき”の本家が主宰して行い,一家の氏神をその屋敷内に祀っていた。

【家の名】古くは家の名を自由に変えたが,後世には家と離れがたいものとなり,分家して他所に移っても本家の名を名乗った。家名をもたない農民には“通り名”があって親子代々それを継承した。家名をあげるとか,おとすとかいって,家長はつねに家の体面を気づかった。これが家の出自を誇り,家格門地を重んずる風をもつくりあげた。家が世代を重ねていくうちに家々の流儀が生じ,家風が生まれた。しかし縁組などにこれをやかましくいうようになったのは近世以後のことである。また商家などでは家憲といって,代々の家族員がよるべき掟を定めたものがある。

【法律上の家】旧民法の規定においては,同一戸籍に記載されている親族の集団を家,あるいは一家と呼んだ。家は戸籍上の形式上の集団であるとともに祖先以来の系譜上の観念的集団でもある。家の観念は,現実の生活集団としての世帯とは必ずしも一致しないことが多いが,法律的には家族制度の基本単位としての役割を果たしてきた。家は家長(戸主)と家族からなり,家長は戸主権によって家族を統率し,家長の地位と財産は長男単独相続である家督相続によって相伝された。

 第二次世界大戦後,家は,憲法24条に違反するものとして,1947年(昭和22)民法改正によって,法的には一代限りのものに改められた。すなわち家督相続制が廃止され,遺産相続も分割相続に変わった。なお,現在では戸籍は夫婦とその子で編成され,戸籍の異同は法律上意味をもたなくなった。しかし他方で“系譜・祭具・墳墓の継承”に関する矛盾もあり改正がまたれている。