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●安東都護府 あんとうとごふ

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国,唐の時代に辺境警備や占領地政策のために置かれた軍事経略機関。六都護府のうちの一つにあたる。668年(総章1)高句麗を討滅したのち,朝鮮半島の領土統治のため平壌(朝鮮民主主義人民共和国ピョンヤン)に置かれた。長官は都護と呼ばれ,派遣された2万の兵を統轄するとともに当該地の民族の慰撫の任務をも負っていた。新羅が唐の諸制度を摂取し,民族意識を高めつつ朝鮮半島の統一をすすめると,翌669年には平壌から新城(撫順)ヘの撒退を余儀なくされた。その後8回の移転と数回の廃置を繰り返しながら遼東半島にまで後退させた。安東都護府の安東は,東方を安んずる意味の名を冠したものであるが,それは中国皇帝の威光がここにまで及ぶことを願ったものである。それだけに都護府の後退は皇帝の威光の後退であり,とりわけ唐の国家権力哀退の現れでもあった。やがて辺境防衛のために節度使が置かれると,都護府は本来の機能を大きく後退させながら,758年(至徳3)には廃止された。