●安藤昌益 あんどうしょうえき
アジア 日本 AD1703 江戸時代
1703〜1762(元禄16〜宝暦12) 通称は孫左衛門,著作者としての堂号は確竜堂良中。柳枝軒,正信などともいう。昌益は医者としての号。江戸時代中期の農民思想家で,わが国ではじめて封建制を否定した。出羽国秋田郡二井田村下村(現,秋田県大館市大字二井田)に生まれる。生家は肝煎(名主)を出したことのある村役人層の農家。1743(寛保3)年以前の経歴については未解明。1744年,陸奥国三戸郡八戸町十三日町(現,青森県八戸市十三日町)に住み,町医者を開業。1758年(宝暦8),八戸を去って二井田村に帰り,本家を継いだと推定される。宝暦の飢饉によって疲弊した村の立て直しに努力。宝暦12年10月14日に死去,二井田村の曹洞宗巌松山温泉寺に葬られる。戒名は,昌安久益信士。その学問修得過程の究明は今後の課題であるが,漢方の一派である後世方医学と神道思想・尊王論の影響を受けていることは確実。主著は,稿本『自然真営道』,刊本『白然真営道』,『統道真伝』など。東北方言とくに秋田北部の方言的特徴をもつ語法で,文字学・音韻学・儒学・神道・仏教・医学・本草学・地誌学・天文学など多様な分野に論及。昌益は,階級的身分的差別のある現実の社会を〈法世〉と呼び,全員が農耕に従う差別のない本来的な社会を〈自然の世〉と呼んで,前者から後者への復帰を主張。その方法として,現実の身分制を形式上は保ちながら全員が農耕に従う過渡的社会を構想して,全国的には軍事力をもった天皇が支配し,地域的には親族を単位にして農民が自治を行うことを提唱した。