●アンデス高地の村 アンデスこうちのむら
南アメリカ ペルー共和国 AD
ペルー・ボリビアを中心とする中央アンデス高地の村は,民族的には,少数のメスティソと,ケチュア・アイマラなどの圧倒的多数の原住民とから構成される。また,生業経済の面では,海抜3,000mを中心に居往する農耕民と,海抜4,000m以上を生活の場とする牧畜民とに大別される。中央アンデスの村は,地域によって著しい多様性をしめしている。その基底にあるのが,自然環境の多様性である。中央アンデスには,熱帯雨林から氷雪にいたるまでの気候帯が,短距離のうちに標高におうじて分布している。生業経済は,この自然環境の多様性をいかし,最大限の白給自足をめざしていとなまれている。一般的に,海抜2,000〜3,000mにはトウモロコシなどが,同3,000〜4,000mにはジャガイモなどが栽培され,同4,000m以上は家畜の放牧地として利用される。トウモロコシ・ジャガイモには多数の品種がしられ,各世帯は,その作物・品種と細分化し散在する耕地を組み合わせることによって,作物の多様性・危険の分散・必要労働力の平均化を実現している。先スペイン期以来のトウモロコシ・ジャガイモ・リャマ・アルパカは,現在でも生業経済に重要な地位をしめている。さらに,スペイン人が導入したコムギ・オオムギ・ウシ・ウマ・ヒツジなども,生業経済に組み込まれている。また,村で自給が困難な場合には,物々交換が行われ,ことに農耕民と牧畜民のあいだには,密接な相互補完関係がみられる。土地は,伝統的には村落や民族集団による共有であった。しかし,現在では,とくに灌漑耕地の私有化がすすみ,共有地は,非灌漑耕地や放牧地にのみみられる。村落形態には,集村と散村の2つの型がある。集村は,スペインの植民地政府によって推進されたもので,一般に教会や村役場にかこまれた広場と,これを中心にした格子状の街路とを特徴としている。村落内は,バラヨック=システムと呼ばれる伝統的な政治組織によって支配されている。しかし,現在では,国家の支配機構の末端としての位置づけが明確になりつつあり,その機能も変質している。村落の社会組織は,アイユと呼ばれる集団を基礎としている。アイユは双系的な親族や姻族,またコンパドラスゴと呼ばれる擬制的親子関係を利用して形成される集団である。自己中心的で永続性のない集団であり,状況におうじて,さまざまな社会組織の段階で一時的に構成される。労働力交換・祭祀・バラ=ヨック=システムなどが,その機会の例としてあげられる。また,アイユは,おなじ段階のほかのアイユとの対立・競合の関係においてのみ,その存在が明確化される。この二元性の原理は,社会組織の面に限らず,中央アンデスの原住民社会にひろくみられ,その世界観の重要な原理の一つとなっている。宗教的には,ほとんどの中央アンデスの原住民は,カトリックを受け入れ,その指導に従っている。しかし,先スペイン期以来の伝統は現在にもうけつがれ,教会もその布教の過程で原住民社会との対応のための修正を余儀なくされてきた。その結果,教会の祭礼や各種の農耕・牧畜儀礼に端的にみられるように,両者の混交がひろくみとめられる。このように,現在の中央アンデス高地の村は,先スペイン期の伝統を基礎に,16世紀以来のスペインの伝統の導入と影響のなかから形成されたものである。しかし,最近になって,とくに1960年代以降,さらにおおきな変容がおこりつつある。原住民の言語であるケチュア語・アイマラ語に加えて,スペイン語をも用いる二重言語生活者が増加した。伝統的な衣裳とともに洋服も着用され,日干しレンガの家には,ワラに変わってトタン屋根がふかれる。トウモロコシからつくる自家製のチチャ酒に加えて,大量生産による酒がのまれる。物々交換とともに現金による取引きが一般化しつつある。これらの変化は,一面では,伝統的な自給自足経済への市場経済の浸透を意味し,他面では,農地改革などの影響による原住民の農民化の過程でもある。その要因として,都市への大量の移住と学校教育の普及も,指摘されねばならない。〔参考文献〕『国立民族学博物館研究報告』5−1,1980,所収諸論文
三浦(佐藤)信行『呪術の帝国』1962,二見書房