●アンティゴノス1世 アンティゴノスいっせい
BC382
前382ごろ〜前301 Monophthalmos(独眼)と渾名される。マケドニア貴族の息子でアレクサンドロス大王の武将。大王によって前333年フリギアの総督に任命された。前323年の大王の死によって一時駆逐されたが,アンティパトロスが帝国の摂政になると地位を回復し,アジア軍の総指揮官に任命された(前321)。アンティパトロスの死(前319)によって彼は全アジアの管轄権を得た。これによって彼は後継者戦争(ディアドコイ戦争)でただ1人アレクサンドロスの帝国の統一のために戦う一歩を踏み出したのである。この野望はメディアでエウメネスを滅ぼしたことによって強められたが,帝国分割派であるマケドニアのカッサンドロス,エジプトのプトレマイオス,トラキアのリュシマコスを同盟させる原因となった。この戦争は前311年の和約で終結したが,セレウコスがバビロニアとメディア東部を領有することとなった。その後対セレウコス戦には成功を収めなかったが,キプロスでの海戦でプトレマイオスを破ってのち,息子デメトリオスとともに大王の後継者として最初に王を称した(前306)。エジプト攻撃は失敗に終わったが,ギリシア本土でのデメトリオスの勝利のおかげで,コリントス同盟の更新に成功した(前302)。翌年,リュシマコス=カッサンドロス=セレウコス連合軍とフリギアのイプソスで戦って敗れ,80歳の生涯を終えたのである。彼は戦場の雄として高名であるが,また有能な政治家でもあった。彼がギリシア諸都市の自治権を支持したことは外交面でも有効な武器となり,本質的にはアンティゴノス2世の政策に継承されている。