●アンティオキア
アジア トルコ共和国 AD
アレクサンドロス大王の部将の一人,前300年にセレウコス1世によって創建された,シリア王国のセレウコス朝の首都。セレウコス1世の父アンティオコスを記念して,アンティオキアと命名された。同名の都市は多数存在するが,そのなかでは最も有名であり,かつ繁栄した都市である。トルコの南部,レバノンに水源を有するオロンテス川(アーシー川)が左折して地中海に流入する河口近くにあり,現名はアンターキアと呼ばれている。穀物・タバコ・絹・木綿の集散地で,人口は現在こそ2〜3万にすぎないが,4世紀には20万という記録もあり,前2世紀から2世紀ころは40万から50万といわれている。前64年ローマのポンペイウスがシリア王国を滅ぼすとともに,ローマの属州となり,シリア総督の所在地となり,自治を許された。カエサルやアウグストゥスも保護を加え,氷道橋・地下墳墓・塔や門のある遺構など,ローマ時代の遺跡が多く残っている。キリスト教の教皇管区所在地で,3世紀から4世紀にかけて,宗教会議も多く行われた。ササン朝ぺルシアとローマの抗争が激しかったときには徹底的に破壊されたが,ユスティニアヌス帝により再建された。のちイスラーム帝国が占領したが,十字軍遠征にあたり1098年にはその統治下に入り,マムルーク朝・オスマン=トルコをへて,現在はトルコ領となっている。