●アンタルキダスの和約 アンタルキダスのわやく
ヨーロッパ ギリシャ共和国 BC386
前386年,スパルタ人アンタルキダス(正しくはアンティアルキダス)とペルシア王との協定により,王と全ギリシア人とのあいだに締結された平和。「王の平和」ともいう。前399年以来,小アジアのギリシア人に対する支配権を主張したペルシア王と,彼らの独立を支援したスパルタとのあいだに戦争が継続され,同時に,前404年のペロポンネソス戦争終結以来ギリシアにおける支配権を行使したスパルタに対するアテナイ・テバイ・アルゴス・コリントスの戦争(コリントス戦争)が,前395年から並行して続いていた。スパルタは,ペルシアと反スパルタ諸ポリスとを同時に敵とする国際的窮状から脱却するために,王との平和を前392年に締結しようとした。この時の和平条件は,小アジアのギリシア人に対する王の支配権を承認すること,他のすべてのポリスは自治とすることであったが,アテナイなどの反対によって,和平の試みは失敗した。その後まもなくして,スパルタは再び和平会談を開いたが,これもアテナイの反対で成功しなかった。戦争の継続によってアテナイが追求した帝国主義政策のために自領の保全に不安をおぼえたペルシア王は,スパルタに接近し,アンタルキダスの再度の外交交渉によって,両者はアンタルキダスの和約をギリシア諸ポリスに承認させたのである。この和約では次のことが定められていた。[1]キュプロス・クラゾメナイ両島を含めて,小アジアをペルシア王の支配領域とする[2]レムノス・インブロス・スキュロスがアテナイに属する他には,すべてのポリスを自治とする。これらの規定は,自領の安全を確保しようとするペルシアと,ギリシアにおける覇権を確立しようとしたスパルタに有利であったが,強力なポリスによって自治を脅かされていた弱小諸ポリスによっても歓迎されたのである。この平和は,前4世紀のギリシア世界において極めて重要な意味をもつ「普遍平和」と密接に関係し,その後のアテナイが締結した同盟はすべて,この条約を基本としていた。