●アンセルムス
ヨーロッパ イタリア共和国 AD1033
1033〜1109 イタリア北部アオスタの谷の貴族の家に生まれる。出郷(1059)してベネディクトゥス派修道士となり,ノルマンディのル=ベック僧院に入って院長ランフランクに師事し,のちに自身院長として神学を講じた。イギリス王ウィリアム2世に招かれてカンタベリ大司教となる(1093)。グレゴリウス改革の支持者で王の教会に対する干渉に反対したため,王と対立し一時国内に亡命した。次代の王ヘンリー1世とも争ったが王が譲歩して後はそのよき補佐者となった。彼の思想史上の意義は,従来信仰すれば足りるとされてきたキリスト教教義の論理的な証明を試みて,スコラ学の成立を準備した点にある。「信じる以上,理解せねばならない」というのが彼の考えである。『クール=デウス=ホモ(なぜ神は人となったか)』『プロスロギオン』『聖母の受胎について』などの著述がある。アウグスティヌスをおもなよりどころとしたが,同時にプラトンの影響がある。聖人とされた。