50音順    検 索

●アンシャン=レジーム

AD 

 「旧制度」もしくは「旧体制」の意味。もともとフランス史の用語であって,中世の封建制がその政治的機能を失い,官僚制にもとづく絶対王政が成立する16世紀ごろから,フランス革命によって絶対王政が廃棄されるまでの社会体制全般をさす。その意味で,アンシャン=レジームと絶対主義とは表裏一体の関係にあったといえる。しかし今日の歴史家は,アンシャン=レジームの概念をもっと広く用いる。フランスのみならず,ほかのヨーロッパ諸国に関しても,自由主義的な近代市民社会以前の,いわば前近代的ないし半封建的な社会体制一般をこのことばで呼ぶことが多い。その場合には,アンシャン=レジームは「身分制社会」とほとんど同じ意味をもつこととなる。

【アンシャン=レジームの特徴】アンシャン=レジームの最も大きな特徴は,社会的な諸関係が「身分」によって規定されているところにある。その点では,中世の封建社会とアンシャン=レジームのあいだには明らかな連結性があり,現にフランス革命後の歴史家は,しばしば「フェオダリテ(封建制)」ということばでアンシャン=レジームを特徴づけたのである。この体制のもとでは,伝統主義的な法観念が支配していたから,すべての権利は「既得権」として,古来の慣習法秩序のなかに基礎づけられ,君主が統治目的のために新しい法令を発しても,慣習法そのものには手を触れなかったから,アンシャン=レジームの法制は,近代国家のそれに比べると著しく複雑であり,重層的であるのを常とする。近代的な市民社会を律する法生活の原理が「法律の前の平等」であるのに反し,まさしく「法律の前の不平等」こそがアンシャン=レジームの特徴なのであり,この意味でアンシャン=レジームは「特権のシステム」にほかならなかった。特権は,近代市民社会の自由主義的な市場のルールからみれば,いわば経済外的な強制としての「独占」の形をとり,これが地域的な特権(たとえば内国関係の障壁)と相まって,自由な商品流通を著しく阻害した。官憲による経済規制は財政上の利害からも,一面において統一的な国内市場をつくりだす働きをしたが,その反面,民間の生産者の自由なイニンアティヴを窒息させずにいなかった。

 絶対主義国家の前段階として,封建国家の変容から生じた「身分制国家」の存在がしばしば指摘される。そこでは,国家権力がまだ中央の君主によって独占されるにいたっておらず,特権的な諸身分(貴族・教会領主・自治都市)から構成される「身分制議会」を通じて,とりわけ課税の問題に関し,君主権力を強く制限したのである。常備軍と官僚を2本の柱とする絶対主義的な国家統治は,確かにこのような権力の二元性を克服したといえる。しかし,どの国においても絶対主義が実現したわけではなく,フランスやプロイセンのように典型的な絶対主義を実現した国においても,身分制的な社会構成はほとんどそのまま維持された。プロイセンでは18世紀の絶対主義最盛期においても,農民に対する地方貴族(ユンカー)の封建的支配にはまったく干渉が行われなかったし,フランスでも領主の封建的諸特権が温存されたほか,王国周辺部の諸州には,大革命にいたるまで,州三部会が引き続き開かれていたのである。この意味で,「身分制国家」と「身分制社会」とを単純に重ね合わせることはできない。

【アンシャン=レジームの崩壊】アンシャン=レジームが市民革命によって一挙に解消され,「法律の前に平等」な「市民」がつくりだされたのはフランスにおいてである。イギリスは,資本主義の発展においてフランスを凌ぎ,また身分制的な社会構造も早くから弛緩していたが,ジェントリーという独特な地主階級の存在のゆえに,第1次選挙法改正までは,アリストクラティックな要素が残った。後進国ドイツにおいては,旧体制の解体は一層緩慢であった。

〔参考文献〕成瀬治『近代市民社会の成立』1984,東大出版会