●アンコール=ワット
アジア カンボジア王国 AD
カンボジア北西部シエムリアップ市郊外にある古代クメール王国の寺院遺跡。スールヤヴァルマン2世により1113年から約30年間かかって建立された寺院で,アンコール=ワットとは「寺院によってつくられた都城」の意味である。寺院の規模は,環濠の四周5.4km,濠の幅190m,西参道入口から中央本殿まで540m,数kmに及ぶ3重の回廊,本殿の中央祠堂(高さ65m)を中心に5基の堂塔からなり,東南アジアにおける最大の遺跡で,世界的な文化遺跡である。建築学的な特色は,整然たる幾何学的な平面展開と堂塔の立体的な配置にあり,調和と円熱を示している。西参道には石畳を敷きつめ,両側にナーガ(大蛇)の欄干がつづき,参道をはさんで左右に聖池や経蔵がある。東参道は土塁のまま残され,建築資材が運びこまれていた。南北にも参道跡がある。寺院建立の思想的背景としては,5基の堂塔が世界の中心といわれる須弥山(メール山)を模し,周壁はヒマラヤの霊峰と考えられ,環濠は深く無限な大洋を象徴するというように,クメール的な神の世界(宇宙観)をこの地上で具現したものであった。寺院の主神はヴィシュヌ神で,王とヴィシュヌ神が合体した特別の神像「ヴィシュヌ=ラージャ」が礼拝され,祭政一致の儀式が執り行われていたようである。王は存命中から諡号(しごう)をもち,神の化身と考えられていた。王の死後は墳墓寺院になっていたとの説がある。美術的な特色は,大回廊の浮き彫りと列柱などの装飾模様にある。760mある第1回廊には,内壁面に薄肉彫りの巧緻な浮き彫りがぎっしりと刻みこまれ,立体的な絵巻物をみるごとき観がある。題材は,主神ヴィシュヌとその化身クリシュナ,ラーマ王子,神と合体したスールヤヴァルマン2世などである。西正面から右回りで浮き彫り画面をみるならば,インドの大叙事詩『マハーバーラタ』から取材したカウラーヴァ軍とパーンダヴァ軍の大戦争絵図(回廊西面南側),クリシュナが暴風雨から牧人と家畜をまもる場面(南西隅塔),スールヤヴァルマン2世の偉業を讃えた歴史物語(回廊南面西側),天国と地獄(南面東側),インド神話の乳悔攪拌の図(東面南側),敵を打ちのめしているヴィシュヌ神(東面北側),クリシュナ神が怪物バーナを攻撃(北面東側)),『ラーマーヤナ』から採話した熾烈な戦闘場面(西面北側)などがある。これら回廊浮き彫りには,技法的にみて,遠方のものを画面上部に重ねて描出していくやり方および複数のものを二重三重に描き立体感を表現する手法などは未熟さも目につくが,帯状大壁面を躍動的に描写し,波打つような図像表現は絶妙な構成といわなければならない。技法の巧拙を乗り越えて,数百mの回廊内壁を少しの空白も残さずに彫り刻んであり,圧巻である。この寺院の造営に至るまで,約10回の建築,美術様式の変遷があり,建築技術の改良に加えて習熟と経験が蓄積され,この寺院の建立が可能となった。美術様式の展開では建物の壁間の空間を埋めるデヴァター(女神)群像,楯(まぐさ),破風などの秀逸な彫刻,列柱に刻み込まれた精緻な装飾模様,円柱窓,砲弾形の堂塔などの独創的な造形に民族的な天分が発揮されている。莫大な石材は,東北へ約40kmはなれたプノン=クレーン高丘の石切り場から切り出された。この寺院の建設には教十万人の村人や捕虜が駆り出され,数千人の技能集団が動員された。屋根は水平積みの接式架構法を用いている。建築手順は,まず環濠が掘られ、それらの土砂が3層の盛り土に使われた。その上に第1回廊,次に十字中回廊(プリヤ=ポアン=千体仏),第2回廊,そして階段が高くそびえる第3回廊へと建設が進められていく。土台石・基礎石としては紅土(ラテライト)が使用され,外側には彫刻をほどこす灰色砂岩が化粧石として使われている。この寺院は,アンコール都城の放棄(1432)後,上座部(小乗)仏教の寺院となった。中央祠堂には大きな仏立像(高さ2m)が安置され,現在も礼拝されている。朱印船貿易の時代に日本人がこの寺院に参詣し,墨書跡が十字中回廊など14カ所に発見されている。年記銘は1612(慶長17)年から1632(寛永9)年にかけてであるが,参詣者のなかには森本右近太夫一房(加藤清正の旧臣の子)が来航している。当時の日本人はこの寺院を「祇園精舎」と考えていたらしく,その絵図面が現在水戸の彰考館に保存されている。この寺院は1908年からフランス極東学院の手により修復が開始された。
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