●アンコール=トム
アジア カンボジア王国 AD
カンボジア北西部シエムリアップ市郊外にある古代クメール王国の都城遺跡。ジャヤヴァルマン7世(在位1181〜1218ごろ)が,12世紀末から13世紀初めにかけて造営した第4次アンコール都城である。アンコール=トムとはクメール語で「大きな町(都)」の意味である。この都城は周囲12kmの環濠都市で,高さ8mの城壁と基軸道路へ通じる5城門,城内には仏陀(観世昔菩薩)を祀る中心寺院バイヨンを始め,王宮・諸寺院・祠堂・露台などが配置されている。城内へ入るには,幅130mの環濠にかかった陸橋を渡る。陸橋の両側には,54体の神々と阿修羅の巨像が並び,七つ頭の大蛇(ナーガ)の胴体で綱引をしている。城門の高さ23m,上部に王の帰依した観世音菩薩の巨大な仏顔が四周をにらんでいる。城門の扉は4mで,朝晩に開閉された。アンコール=ワットと同様に須弥山(しゅみせん,メール山)を象徴化した中心寺院バイヨン,城壁はヒマラヤの霊峰を,環濠は大洋を意味し,クメール的宇宙観を具現すると同時に王権の神格化の考え方と結びついている。バイヨン寺院には,四面大慈悲顔のついた仏塔が50あまり高く低く林立する。中央祠堂の高さは45mあり,その祠堂内では当時王を神格化した特別な仏像(ブッダラージャ)が礼拝されていたという。バイヨンの配置と構成は,二重の回廊・真中に円形の本殿である中央祠堂・巡礼できる階上テラスと16小祠堂を配している。バイヨンは建築の途中で設計変更があったようで,第2回廊の小祠堂などがテラス基壇の陰に隠れている。二重の回廊の壁面浮彫りはアンコール=ワットのものよりも深彫りであり,第l回廊(160m ×140m)の南面には庶民の日常生活が描かれている。市場では野菜・米・肉・魚などが屋台に並べられ,現在の風景ともあまり異なるところがない。第l回廊の東面はクメール軍とチャンパ軍の迫力ある戦闘場面が続く。ほかに水上での戦い,敗走するクメール軍,寺院建立の図,おびただしい人物像や動植物の絵が高さ10mの壁面全体を埋め尽くし圧巻である。第2回廊(70m×80m)では,クリシュナの逸話・癩王治療図・シヴァSiva神の前で戦勝を祈願する王の図などが有名。寺院の立体部分には,精緻な装飾模様が施されている。アンコール=トムの建築・美術様式を「バイヨン様式」と呼び,宗教活動の隆盛に連動した画期的な造像の頂点といわれる。この建築・美術様式上の大変化は,従来のヒンドゥー美術から新しい仏教美術への転換に起因し,寺院建設にあたっては四面大仏顔の神秘的な「バイヨンの徴笑」にみられるように,内面的な精神性を表現することに重点がおかれている。ジャヤヴァルマン7世治下の彫刻は,それまでのアンコール彫刻の没人的な傾向を排し,王や王族をモデルとした図像学上の写実性が重視されていた。王はこのアンコール=トムのほかに,タ=プロム寺院・プリヤ=カン寺院・バンテアイ=チュマール寺院など多くの寺院を建立した。城内には,11世紀後半のバプオーン寺院・テップ=プラナム僧院・プリヤ=パリライ寺院,破壊燃上した王宮跡・天上の宮殿ピミヤナカス寺院・凱旋した軍団が通る「勝利の門」から道路が延び,象のテラスにぶつかり,王はこのテラスから全軍を閲兵したといわれる。この時代の版図は,北がラオスのビエンチャン付近まで東のチャンパ国を合併し,西はチャオプラヤ川流域まで,南はマライ半島北部までを占め,クメール王朝の全盛期であった。王は国内に121カ所の宿駅や102カ所の施療院を建設した。現在の国道6号線のコンポン=クデイ近くには,往時の石橋スピアン=プラトスがあり,長さ90m,橋幅14m,18本の橋脚に支えられ今も使用している。ジャヤヴァルマン7世治下の末期には,国内各地で反乱や一揆が頻発し,クメール王朝は急速に衰退し,都城アンコール=トムは1353年にシャム(タイ)に攻撃され陥落し,最終的には1432年に放棄されてしまった。
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