●アルバニア共和国 アルバニアきょうわこく
ヨーロッパ アルバニア共和国 AD
バルカン半島西南の面積28,748平方km,人口341万人(1996)の小国。アドリア海に面し,ユーゴスラヴィア・ギリシアと国境を接する。首都はティラナ。その他の主要都市は北からシュコードラ・ドウレス・エルバサン・コルチャ・ヴローラ・ジロカストラなど。原語国名のシュキパリ Shqiperi とは「鷲の国」の意味で,アルバニアはアルプまたはアルブ,つまり山の国を意味する。北はディナール山脈,東はマケドニア高原,中部は中部高原,南はピンドウス山脈というように,西南部海岸を除き山の多い国である。クローム・ニッケル・銅・原油など天然資源に恵まれ,畜産も盛んであり,第二次世界大戦後工業化計画をすすめている。【歴史】アルバニア人はバルカンの原住民であるイリリア人がスラヴ族の侵入により現在の地に追いつめられたものだとされるが,確かなことはわからない。この地方は紀元前からローマ・ビガンツ・ゴート族・ブルガリア・ノルマン・セルビア人などが通過しあるいは支配した。15世紀にはオスマン=トルコが兵をすすめ,スカンデルベクに率いられた部族連合による頑強な抵抗を打ち破って同地を支配した。トルコは非トルコ人を大量に官僚や軍人に徴用したが,アルバニア人は皇帝の近衛部隊に多く採用され,またなかには首相にあたる大宰相に就任するものも現れた。しかし18世紀末から19世紀にかけてアリ=パシャ=テペレナは,南部アルバニアを中心に広大な独立国家を一時的に築いた。1878年のサン=ステファノ条約によって独立したセルビア・モンテネグロが,アルバニア北部を大きく支配しようとしたので,部族長らはコソヴォでプリズレン連盟を結成しそれに抵抗した。1908年にアルバニア人の対トルコ反乱が始まり,バルカン戦争による分割の危機を前に,1912年11月に有力者がヴローラに集まり独立を宣言した。1920年3月にティラナに正式の立法議会が設けられ,アルバニアの国際連盟加盟が実現した。1922年に首相に就任したゾーグは一時国外に追われたが,1925年首相に復帰し,1928年に王政を敷してゾーグ1世を名乗った。ゾーグはイタリアと提携したが,イタリア軍は1939年にアルバニアに上陸,ゾーグを追放した。
【戦後のアルバニア】1941年にホジャを指導者として結成されたアルバニア共産党が,枢軸軍に抵抗するパルチザン戦争を行い,1946年1月には人民共和国の成立が宣言された。当初はユーゴ共産党の影響力が強かったが,1948年にそれがコミンフォルムから排除されると,ホジャは国内のユーゴ派を粛清し権力を固めた。1956年にソ連圏でスターリン批判が行われたのちにもホジャはスターリン崇拝をつづけ,対ユーゴ和解に関するソ連の勧告にも耳を貸さず,1961年にはソ連と全面的に対立,中国に経済面で全面的に依存した。しかし1970年代の米中接近を批判したため対中国関係も悪化し,1978年には中国からの援助も打ち切られ,国際的に孤立した。
【文化と社会】アルバニア語は欧印語系のイリリア語を出発点とするとされているが,語彙は大部分がラテン語・ロマン語・スラヴ語・現代ギリシア語・トルコ語からの借用である。18世紀以降イタリアに移住したアルバニア人のあいだで文学作品が生まれ,民族意識が育成され,また19世紀にコンスタンティノープル在住アルバニア人がラテン文字を基礎にした独自の文字を開発,アルバニア語の普及につとめた。アルバニア人は種族的にも方言の上でも大きく二分される。北部のゲグ族は一般に背が高く尚武の気風に富み,セルビア人に対抗するために多くがカトリック教徒になり,部族体制をのちまで残した。南部のトスク族は背が低く柔和で,ギリシア正教を受け入れ,地主制度を発達させた。トルコ支配下に南北ともにイスラーム化がすすみ,全体の70%がムスリム(イスラーム教徒)になった。しかし戦後反宗教キャンペーンが年ごとに強められ,教会や寺院が焼かれ,1967年には「世界最初の無宗教国家」になったとの宣言がなされた。