●アルタン=ハン
アジア モンゴル国 AD1507
1507〜1582 阿勒坦汗,俺答汗。ダヤン=ハンの孫。トゥメト部長であったが,1547年にチャハル部・ハルハ部を圧倒しモンゴルを実質的に支配するようになり,1551年にチャハル部のダライスンの同意を得てハンを称するにいたった。彼は,1550年の明の首都北京への攻撃を頂点に明への侵入掠奪を繰り返し,1552年以後しばしばオイラートを攻撃して打撃を与え,のちにチベット・カザフも攻撃した。彼は明への侵入のたびに掠奪してきた漢人に農耕させ,その漢人の築いた都市が各地にできバイシンと称された。彼の居城となったバイシンがフフホトで,今の内蒙古自治区の区都の起源である。ここは亡命漢人も集まり栄えた。かれは孫の明への亡命事件を機に,1571年に明と和約を結び,順義正の称号を与えられた。和約にもとづき国境交易場も開設され,モンゴルは経済的にうるおった。彼はその後青海に仰華寺を建て,1578年にここにソェナムギャツォ(ダライ=ラマ3世)を招き,ゲルクパ(黄帽派)に帰依し,弘慈寺(フフホト)をはじめ多くのラマ教寺院を建立した。