●アルザス・ロレーヌ
ヨーロッパ フランス共和国 AD
フランス東部のライン西岸地方。【地理】上ライン・下ライン・モーゼルの3県よりなる。アルザスは,ライン川とヴォージュ山脈のあいだに位置し,南はスイスに境を接している。ロレーヌは,アルザスの北にあり,北はアルデンヌの森,南はヴォージュ山脈に接する。この地方は,ドイツ・フランスの中間に位置しており,経済的豊かさ(ロレーヌは石炭・鉄の産地として名高い)もあいまって,1,000年も前から両国の係争の地であった。
【歴史】アルザス・ロレーヌには古くはケルト人が住んでいたが,前58年のカエサルの征服によってローマ領となった。民族移動開始後496年クローヴィスの征服を受けフランク王国の一部となった。ヴェルダン条約(843)によって,この地方はルイ1世の長子ロタールの領土の一部となり,これがロレーヌの語源となった。メルセン条約(870)の結果,この地方の大部分は東フランク王国に併合された。その後西フランク王国の一部となったが,ここのカロリング家が廃位されたのち,再びドイツ領となった。ロレーヌは959年以降,北部の下ロレーヌと南部の上ロレーヌに二分されるが,ここでのロレーヌとは後者をさし,12世紀末に下ロレーヌ公がブラバン公の名称をとってからは,後者のみを示す地名となった。このロレーヌは11世紀中ごろ以降ロレーヌ家によって支配されたが,13世紀後半からは徐々にフランス王の介人を受けるようになり,1552年アンリ2世によって3司教領(メッス・トゥール・ヴェルダン)が占領された。宗教戦争期にはカトリックの拠点の一つとなり,ロレーヌ家の分家であるギーズ家はいわゆる旧教同盟(La LiGue)の指導者として活躍した。その後,フランスとハプスブルク家の闘争のなかで,皇帝軍としてフランスとの戦争の正面にたたされ,たびたびフランス軍に占領された。ウェストファリア条約(1648)によって3司教領はフランスに併合され,ピレネー条約(1659)によりロレーヌ公領は縮小された。18世紀に入り,ロレーヌ公フランツ3世がハプスブルク家のマリア=テレジアと結婚したあとウィーン条約(1738)により,ロレーヌは前ポーランド王スタニスラス=レスチンスキに譲渡されたが,彼の死後フランスに併合された(1766)。他方アルザスはヴェルダン条約によってロタールの領土,ついでドイツ領となった(870)。12世紀以降経済的繁栄をとげたが,封建領主の勢力が強く政治的統一はおくれた。15世紀以降になるとルネサンスと宗教改革の拠点となり,また農民戦争の舞台ともなった。ストラスブールではカルヴァン主義が導入されたが,13世紀以降この地に勢力を張ったハプスブルク家によって対抗宗教改革が進められ,カトリックの側にとどまった。その後30年戦争の戦場となって荒廃したが,自然国境の征服をめざすフランスが積極的に進出するところとなり,ウェストファリア条約をへて,1681年のストラスブール併合によってアルザスはフランス領となった。以上のように17・18世紀にアルザス・ロレーヌはフランス領となっていったが,文化的諸要素はドイツ的なままであり,このドイツ的伝統が崩れてフランスに同化されていったのはフランス革命によってである。しかし,普仏戦争(1870〜1871)でフランスが敗れると,ベルフォールをのぞくアルザスとロレーヌ東半分がドイツに割譲され,フランスに激しい反ドイツ感情をわきおこした。ドイツはこの地方のドイツ化のために教育・経済開発の政策を打ちだし,1911年には連邦議会への代表選出を認め,ストラスブールに二院制の地方議会を設置した。第一次世界大戦でドイツが敗北し,1919年6月アルザス・ロレーヌは再びフランス領となった。第二次世界大戦中は一時ドイツに併合されたものの,戦後はフランスの一部として現在にいたっている。欧州共同体(EC)による欧州議会はストラスブールに置かれている。