●網漁 あみりょう
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釣漁とともに漁法の中心をなす。原始時代にすでに網漁が行われたことは浮きとして用いられたとみられる軽石や沈子(びし)として使われた管形の土器や石錘が各地から発見されているのでほぼ確実視されている。古代に入ると,さで網や地曵網さらに敷網なども使用されたことが種々の文献から明らかにされている。中世ことに室町末期ころから各種の網漁業が出現した。紀伊や丹後の藁敷地曵網や讃岐・摂津・筑前などのタイの地曵網である地漕網なども知られる。若狭の手繰網は相当発達していたとみられ,またこの時期にカツオ・マグロ・イルカなどの回遊魚が湾内深く来遊したとき湾口を建切って,内部に入った魚を曳網または敷網で獲る建切網も行われはじめた。敷網もようやく盛んに用いられ,周防国のボラ敷網,紀伊・摂津から関東および肥前方面のイワシの敷網である八手網(はちたあみ)などが知られる。刺網も行われはじめ,丹後与謝郡のイワシ底刺網,豆州内浦のブリ底網も文書に現れる。近世に入ると幕藩体制の確立とともに商業・交通運輸が発達し,三都はもちろん各地に魚問屋・魚市場ができて魚類の輸送力も一段と増進した。さらに農業技術の進展による肥料用の魚類の需要が急に高まり,江戸時代を通じて漁業は著しく発達した。ことに網漁業の発達は著しく,漁法のなかでも最も中心的な位置を占め,今日の基本的な網漁の祖型はほぼ出そろったと考えられる。漁網の種類は豊富であるが,使用形態から次のように類別できる。[1]抄網(すくいあみ)類 枠で網の周囲を支え,魚類をすくいあげる構造のもの。たも網・さで網などがこれである。[2]掩網(かぶせあみ)類 水上から魚類にかぶせるもの。投網(とあみ)はこの種の代表である。[3]曳網(ひきあみ)類 魚群を包囲し,岸あるいは船に引き寄せて捕獲するもの。地曵網と船曳網に分かれ,般曳網には浮曳網と底曳網の別がある。愛媛県宇和地帯で行われるイワシ船曳網や瀬戸内海のタイ地漕(ちこぎ)網は浮曳網の一種であり,トロール漁は底曳網の進歩したもの,現在では北洋海域で行われる大規模なスタントロール漁もみられる。[4]旋網(まわしあみ)類 おもに海の表層の魚群を囲み,船側にくりよせて捕獲するもの。巾着網や揚繰(あぐり)網はこの形の進歩したもの。近海マグロ漁業に用いられる旋網には,般5隻,乗組員70〜80名で1船団を構成する大規模なものもある。[5]敷網類 水中に網を敷き,その上に集まる魚群をすくいあげるもの。四手(よつで)網・棒受網・四艘張網などがある。[6]刺網類 魚そのほかの海棲動物を網目にかけて捕獲するもの。浮刺網・底刺網の別がある。現在では,捕獲を確実にするために3枚の網を重ねているものもある。海の表層に張り,潮流に標わせる流網(ながしあみ)もこの類である。伊豆七島近海のトビウオや北洋のサケ・マスの捕獲に用いられているのはこの種の網。[7]建網(たてあみ)類 魚群の来遊する場所に網を定設して捕獲するもの。一般に定置網と呼ばれる。西南地方でおもにイワシ・アジ・サバ・イカなどを捕る大敷網,東北太平洋岸でおもにマグロを捕獲した大謀(たいぼう)網,北海道地方でニシンを捕獲した行成(ゆきなり)網,富山湾でブリ・マグロ・タイ・イワシなどを捕獲した台網,伊豆半島の根拵(ねこざい)網など,地方ごとにその構造も呼称も異なる。網にはこれを沈めるために縁辺にイワ・イワグリなどと呼ばれる沈子をつける。また浮かすためには片方へ浮きをつける。アバ・アンバの名がある。網の材料も原始時代にはクズ・シナなどの禾木科植物の繊維が用いられたとみられ,古代には藁網の使用の増加が考えられる。中世にはクズ・フジ,近世には麻苧,大正期には綿糸漁網が支配的となり,現代ではほとんどナイロン網である。〔参考文献〕山口和雄『日本漁業史』1947,生活社
日本常民文化研究所編『日本水産史』1957,角川書店
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