●アティーシャ
アジア インド AD982 後期シャールキヤ朝
982〜1054 東部インドベンガルの1王族として生まれ,29歳のとき,オーダンタプリー僧院に入りディーパンカーラシュリジュニャーナと称した。ここで中観学を中心とする顕教を修め,31歳でスマトラに渡り,シュリヴィジャヤ仏教王朝の仏教指導者ダルマキールティ(法称)のもとで瑜伽行派の修業をし,セイロンに渡り,大小乗の経論や呪法を学んだ。帰国後ヴィクラマシーラ僧院の大学堂長として迎えられ,顕密両教に通じた10世紀のインド仏教界最高の指導者となった。彼が西チペットのラ=ラマ=イーシェオェ王(智光王)の捨身に感動し,ラ=ラマ=チャンチュプオエ(菩提光王)の熱心な招請に応じ3年の伝道を約束して1040年,61歳のとき,弟子のナクツォー・ロツァワ・ロチュン=レクパ=シェンラブを伴ってインドをたち,ネパールで1年余を過ごしたのち,1042年西チベットのトリン寺に入った。以後3年間伝道・翻訳・著述に専念し帰国の途についたが,ネパール国境で戦争が始まり帰国の機会を失ってウー地方に行き,サムエ寺に住んだ。その後ラサの東方キーチュ河畔のネタンに住み,ラサやエルパ地区を中心に伝道し,100余点の著作を残し,1054年73歳で入寂した。代表的著作は『菩提道燈論』『入二諦論』『略修燈明論』であり,これらはともに,以後のチベット仏教を方向づける教理となった。彼の教えは弟子のタムトンパ・リンチェンセル・ツルチムバル・ションヌ=ゲルツェン・ランワ・シャルワ・チャユルワたちに受け継がれた。現在も彼は,ラマ教カルダン派の開祖として尊敬されている。