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●アッラー

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 イスラームにおける唯一なる神の名称。創造主にして審判の日の主宰者。アッラーの名はイスラーム以前に偶像崇拝のアラブ多神教徒のあいだでも知られていた。しかしそれは唯一の神ではなく,神々のなかの最高の神であった。『コーラン』第29章61・63・65に〈もし汝が彼ら(メッカの人々)に「天地を創造し,日と月を統御する者はだれか」と尋ねれば,彼らは「アッラー」と答える。・・・・・・彼らは船に乗ればひたすらアッラーを信じて祈る。しかしひとたび陸地に無事あがると,見よ,彼らはアッラーに仲間を併置する〉とある。つまり創造神アッラーの名は知っているが,神々のなかの神にすぎない。また,第53章19〜21では,アッラートとウッザーとマナートの3女神がアッラーの娘であるなどというアラブ多神教徒を非難している。またムハンマドの父の名がアブド=アッラー(アッラーのしもべ)である。これらのことは,イスラーム以前にアッラーの名が知られていた証拠である。しかし,イスラームでいうアッラーが崇められるのは,女神の父親であるからではなく,〈これぞ,神にして唯一者,神にして永遠の絶対者。生まず,生まれず,一人として並ぶ者はない〉(第112章)神なのである。『コーラン』のなかで反復強調されているのは〈神は唯一〉という一神教の原理で,アッラー以外に天地万物の創造者はなく,あらゆるものはすべて被造物であるということで,あらゆることは唯一神の意志によって生ずるのであるから,神の力はまさに普遍にして絶対なのである。〈神がなにかを欲したもうときは,ただそのために「あれ」とご命令になるだけ。それで成就する〉(第36章82)ほどの力なのだ。人間を創造された神は,その人間に役立つようあらゆるものを創造されている。〈神は天と地を造り,天から雨を降らし,それによってもろもろの果実をみのらせ,おまえたちの糧となしたもうお方である〉(第14章32)〈おお人びとよ,神がおまえたちに与えたもうたみ恵みに思いをいたせ。神以外のもので,天地から糧を与えたもう創造主が一人でもあろうか。神のほかに神なし〉(第35章3)。つまり神の創造は,とりもなおさず人間にとって大きな恵みなのである。イスラームの教えのなかで重要なものに,そのような神の恵みに対する心からの感謝の念の現れが礼拝となるものがある。神はこのような恵みを与えて下さる慈悲深いお方と思えば,不信心者には恐ろしい懲罰をお下しになる。〈信仰にそむいて神の道をさまたげた者どもには,彼らの行っていた害悪のゆえに,われらは懲罰の上にも懲罰を加えてやる〉(第16章88)と強い口調で宣言されている。とりわけ審判の日のこと。人間は死ぬと神の前で裁きを受け,信じて善を行った者は天国に送られ,悪人は罰せられて地獄に落とされる。天国のすばらしさと地獄の恐しさの描写は,『コーラン』の章句でもとくに印象的なものである。〈慈悲深きお方〉〈至大の王者〉〈正しい裁き手〉といった神の属性が『コーラン』のいたるところに現れ,イスラームの学者は「99の美名」を数え上げている。また神は被造物たる人間に命令する〈並ぶものなき〉超越者であると同時に〈人間の頸の血管よりも近く〉(第50章16)にあり,厳罰を下すかと思えば〈悔い改めを受けいれ,諸悪も赦したもうお方〉(第42章25)である。牧草を育て,黒い枯れ草となし(第87章4・5),生あるものを死なせるのも(第40章68)すべてみ心次第。しかしこのような矛盾した表現は,神の気まぐれを意味するのでなく,人間の理性の尺度を越えた神の絶対性を表したにすぎない。このような神の唯一絶対性,神の正義と悪の問題,人間の自由意志と責任の問題など多くのことが,後世イスラーム神学上の大問題となる。