●アーチ
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建造物において弧形の曲線をもって開口部を支える構造形式。拱(きょう)・迫(せり)・迫持(せりもち)などと訳される。アーチが連続してトンネル状になったものをヴォールト,半球状になったものをドーム(Dome)と呼ぶ。石やれんがのくさび形の部材(迫石)を積み上げて造る組積造を基本とするが,鉄骨や木の小部材を組み立てたトラス・アーチ,鉄筋コンクリートによる一体的なものもアーチという。柱・梁(はり)・楯(まぐさ)からなる構造が,開口部に見合った巨大な材料を必要とするのに対し,小部材の組み合わせによって,大きな開口部を支えることができる。【構造】組積造におけるアーチは,壁または柱に支えられた迫元を両脚の支点とし,その上にくさび形の迫石を弧形に積んで,頂点に要石(かなめ石・キーストン)を据える。上からの荷重は,それぞれの迫石の接触面に垂直な圧縮力として順次下方へ伝えられる。両脚の支点では下方への圧縮力と,外側へ開き倒れようとする推力が働く。したがってアーチを支える壁や柱は,外側へ倒れることを防ぐために,強固なものが要求される。
【形状】組積造におけるアーチには,次のような種類がある。[1]円弧アーチ。アーチの基本的な形式で,エリア・古代ローマ・ビザンツ・初期ロマネスク建築で広く用いられた。半円アーチ・欠円(弧形)アーチ・馬蹄(ばてい)形アーチなどがある。[2]尖頭アーチ。スパンの長さに等しい半径をもつ,二つの円弧を組み合わせ尖頭形としたアーチ。円弧の半径がスパンより広いランセット・アーチも,尖頭アーチの1種。ゴシック建築における基本的なアーチで,両脚の支点において,外側へ開く力が小さくできるため大きな柱間が可能となった。[3]オジー・アーチ。凸状の曲線と凹状の曲線を組み合わせたアーチ。その形から葱花(ねぎばな)アーチとも呼ばれる。イスラーム建築に多く用いられたが,後期ゴシック建築にもみることができる。[4]フラット・アーチ。弧形アーチの原理を応用し,水平ののきをくさび形の小部材の組み合わせによって造ったもの。
【歴史】アーチの歴史は古く,メソポタミアでは前3100年頃の,アーチを連ねたヴォールトの,スパン3.25m・高さ約2m・長さ8.5mの遺構が発見されている。またエジプト・インド・中国などを初め,世界各地で利用されたと考えられている。前10世紀ごろから前2世紀にがけて,イタリア半島中部で独得の文化を発展させたエトルリア人は,墓・橋・城門などにアーチ構造を用いた。これを受け継いだ古代ローマ人は,コンクリートを多く用い,石やれんがと併用することによって,アーチを利用した大規模な建造物を完成させた。その種類は神殿・闘技場・浴場・記念門・橋・水道橋と多岐に及んでいる。パンテオンの神殿(120年ごろ)は,内径・天井高とも43.2mの大空間を28本の肋材アーチが覆っている。その後ロマネスクやゴシックの建築を通じて石造技術は飛躍的に進歩し,教会堂の基本的な平面形式であるバシリカに,ヴォールトの天井を架けることが試みられた。ゴシック建築では,アーチ両脚の支点が外側へ開こうとする力を支えるために,厚い控壁を設けている。控壁を重くするためその上に小尖塔(ピナクル)を置き,さらに力を外側へ分散させるよう飛梁(飛控・フライングバットレス)を創り出した。ルネサンス時代にブルネレスキ(1377〜1446)は,フィレンツェ大会堂の工事において,ドーム下部に木を鉄帯でつないだリングをはめ,外側へ開こうとする力を抗張材によって支持する方法を考案した。近代建築では,1889年パリ万国博覧会機械館で鉄骨アーチによって実現した大空間(スパン115m・高さ45m・長さ420m)がある。わが国には,1632年(寛永9)中国から来朝した僧如定が,石造アーチ橋(眼鏡橋)の技術を伝えており,長崎・平戸などの九州各地に遺構がある。岩国の錦帯橋(きんたいばし)は,1673年(延宝1)に創設された世界でも珍しい木造アーチ橋である。現在のものは,1950年流失後の再建である。
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