●アダム=シャール
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中国名は湯若望(とうじゃくぼう)1591〜1666明末から清初にかけて中国で活躍したイエズス会士でドイツ出身。1622年(天啓2)に中国に渡り,初め陝西省で布教に従事し,かなりの成果をあげたが、中国暦法の改革に参加するために1630年(崇禎3)北京に呼ばれた。ティコ=ブラーエ(1546〜1601)の学説に主としてもとづいて西洋天文学書の翻訳を行い,それらはやがて『崇禎暦書』として結実する。1640年(崇禎13)の日食に際して,中国天文学者,イスラーム天文学者らと競争予測を行った結果勝利を獲得した。また満州族の侵入に備えるための大砲を勅命によって製造した。結局清朝が北京に入ると,彼は当局から欽天監に招かれて公暦である時憲暦の製作を任され、のちには欽天監正(天文台長)に任命された。しかしイスラーム天文学者とその支持者たちから反撃を受け,1664年(康煕3)に不敬罪を理由に死刑を宣告され,キリスト教も禁止された。しかし,そのために天災地変が続出したので、刑の執行は停止され,教宅に戻ることを許された。