●アタチュルク
アジア トルコ共和国 AD1881 オスマン帝国
1881〜1938トルコ共和国の創始者。初代大統領。旧オスマン帝国領サロニカに生まれる。幼少にして官吏から材木商に転じた父を失う。軍学校で教育を受け陸軍士官学校・陸軍大学を卒業。ダマスカスに配属され,革命組織「祖国と自由委員会」結成。1907年サロニカに転属し,「統一と進歩委員会」に加入。1908年青年トルコ党革命により立憲体制が復活されるが,軍人の政治参加に反発し軍務に専念する。1909年のイスタンブル反乱鎮圧のため行動軍を編成し鎮圧にむかう。1911年イタリアのリビア侵入に対しゲリラ戦を指揮。バルカン戦争では参謀本部勤務となる。ソフィヤ駐在武官となり,第一次大戦開始後,帰国しアナファルタの戦いで,英仏軍を撃退しイスタンブル占領作戦を失敗させ,「アナファルタの英雄」となる。その後,コーカサス,ヒジャズ,パレスチナ,シリアを転戦する。1919年,トルコを分割するセーブル条約に反対しサムスンで活動を開始し,エルズルム・シヴァスに会議を開き祖国解放の指導者となる。1920年アンカラに大国民議会を招集し新政府を樹立。アンカラ近郊にまで侵入したギリシア軍をサカルヤ大会戦で撃破し,ギリシア軍をアナトリアから追放する。1921年憲法の制定を行う。1922年スルタン制を廃止し,1923年ローザンヌ条約を締結。同年10月29日共和国樹立を宣言,初代大統領となる。強大な指導力により,トルコ共和国の俗権主義改革を推進し,政教分離政策を実施する。1924年カリフ制を廃止。同年教育改革により宗教学校も含めすべての学校を国民教育省の管理下に置く。1925年トルコ帽やヴェールの着用を禁止。イスラーム暦の使用を廃し西暦を採用。1926年イスラーム法を廃し,スイス商法を採用。1928年憲法に規定されたイスラーム教を国教とする項目を削除。一方でトルコ純化運動を推め,1928年アラビア文字を廃し,新しくラテン文字を採用,言語もアラビア語・ペルシア語の借用語にかえて日常トルコ語の普及につとめた。数多くの改革を断行したムスタファ=ケマルは,1934年制定された姓氏法により,議会から,「父なるトルコ人」の意味の,アタチュルクの姓を贈られた。1938年,イスタンブルのドルマバフチェ宮で永眠。