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●吾妻鏡 あずまかがみ

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 成立は鎌倉時代。幕府自身の手による歴史書。武家の“道理”による天下草創の歴史を子孫のための鏡として残すことに発した。東鑑とも表記。1180年(治承4)源頼政の挙兵の顛末から始まり1266年(文永3)6代将軍宗尊親王が将軍職を解任され,京に帰るまでの80余年間,つまり鎌倉幕府中期までの歴史を編年体で記述した,わが国最初の武家記録である。現存する本では,このうちの10年分が欠けており,これが完成後の散佚かあるいは未完成のまま終わったための欠脱かは定かではない。巻数は北条本と島津本が,52巻51冊で吉川本が47巻47冊である。文体は当時広く用いられていた和風漢文体。記事は幕府における役人の公務日誌や御家人の家や神社・寺院に残っている古文書,文学作品,幕府と関係のあったものの日記などを材料としている。体裁としては,鎌倉でのその日その日の出来事をこと細かに書いた日記ということになっており,各将軍別にまとめられている。全体は源氏三代記と,それ以後の三代記とに分けられ,前半は文学的な色合いが,後半は実録的な特色が認められる。編さんは前半の部分が,1264年から1275年(文永年間),後半が1288年から1306年(正応〜嘉元年間)と推定されているが,最近では,全部を鎌倉時代後期の成立,あるいは鎌倉時代前期から後期まで長期間にわたって各将軍記別に,順次編さんされていったものとの見解も提出されている。編さん者は幕府の官吏とみるべきであろうか。もちろん個人の事業ではなく,多数の協力による公的な事業とみるべきであろう。その際,金沢文庫を創立した北条氏一族との関連を説く見解もある。本書は鎌倉時代の前半80年余をおおう長大な史料であり,この点においてはこの時代第一級の史料である。そればかりではなく,幕府側における事件や情勢を詳細に記した点においてはほとんど唯一の史料といってよく,鎌倉幕府政治の研究にはもちろんのこと,広く武家社会ないしは中世史一般の研究にも,最も貴重な史料といってよいだろう。しかし,13世紀前半に公家の手によって書かれたものと推定される史書『水鏡』が,前代の『大鏡』の形式をまねながら,昔も今もあさましいことのみが多かったと,うしろ向きのものであったのとは対照的に,幕府ことに執権北条氏の立場を擁護する傾向が著しくある。また,編さんの際の不手際による誤りや,修飾誇張の表現,偽文書の利用,年次のかけちがいなどや,前半部とくに鎌倉幕府の草創期において北条氏のためにする曲筆,政治的事件の隠蔽が見受けられる。したがって,批判を行うには,編さん者による地の文と引用されている文書とを区別しなければならない。また,本書を史料として利用する場合には相当慎重な態度をもって行われることを必要とする。しかしながら,これらの誤りや,曲筆などをすべて含みみても,本書が鎌倉時代を知る上において,最も貴重な文献であることは否定できない。現在では,15世紀初頭の写本以下,多くの伝本が存在する。なかでも重要とされるのが,周防の大内氏の部将右田弘詮が20年余にわたり蒐集してつくった吉川本,小田原の後北条氏に伝来した本と,徳川家康の蔵書を合わせて編さんした北条本,さらに島津家に伝わったとされている島津本の3種である。これらの諸本は元来ひとまとまりの完本ではなく,それぞれが多くの抄録と集成を重ねた本の組み合せである。全体的にみて吉川本に比較的記事の多い巻がある。印刷本は慶長の古活字版以来数種類あるが,現在のところでは,北条本をベースに吉川本・島津本により校訂された『新訂増補国史大系本』が学術的価値が最も高く,最良の本といえる。また一般の閲読には,書下し,訳注がついている岩波文庫本が便利である。本書の研究というのは,江戸時代から部分的に行われてきてはいたが,実際本格的に行われたのは明治に入ってからである。また,鎌倉時代を扱った近代の文芸作品は,本書の解釈から出発していることが多く,小林秀雄の『無常といふ事』はその代表的作品である。

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