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●アジャンター石窟 アジャンターせっくつ

アジア インド AD 

 インド西部マハーラーシュトラアウランガバードの北方100kmほどにある代表的仏教石窟寺院址群である。ワゴラー川の馬蹄形の断崖に沿い,およそ550mにわたって30の石窟がうがたれている。石窟はマウリヤ朝後期から紀元前後にかけてと,バーカータカ朝の5〜6世紀末ごろの2時期を中心として開窟される。第8窟から第13窟までの6窟が第1期に,その左右に並ぶ24の石窟が第2期につくられた。第10窟が最古のものと推定され,紀元前2世紀ごろとされる。その後,第1期,第2期をへて,8世紀以降になると仏教はしだいにヒンドゥー教の内に取り込まれ始め,またイスラームの侵入からアジャンター石窟院での活動も衰退して,1919年イギリス軍人に発見されるまで忘れさられてしまう。石窟にはチャイティヤ(祠堂)とヴィハーラ(僧院)とがある。第1期はチャイティヤと呼ばれるストゥーパ(仏塔)を祭る窟院が多く,平面形長方形かU字形の簡単なつくりからしだいに第2期の天井がドームをなす前方後円形へと展開する。ヴィハーラも中央ホールの四周に房室を配した方形のものから,窟院造営が活発であった第2期には第1,2,16,17窟のように中央ホールに列柱を配し,奥壁に仏堂を設ける規模の大きなものへと変わっていく。こうした第1期と第2期での窟院形態の推移はチャイティヤヴィハーラの分立からヴィハーラ窟への機能集中と,ストゥーパ礼拝から釈迦像礼拝へと仏教教団に根本的変容のあったことを示している。この時期,チャイティヤヴィハーラともに当時の地上建造物を窟院に写すように,丸天井のアーチ型骨組,垂木などの木造建築での要素を石に削り出している。窟院正面や壁面では諸尊や説話の浮き彫りが目立つようになる。これら窟院の構造や彫刻とともにアジャンターの石窟院群を著名なものとしたのはヴィハーラ窟に最も多く残る壁画群である。石窟内の側壁や柱にはジャータカ(本生譚),仏伝などの説話が,仏堂を置く奥壁付近には仏や菩薩などが,天井には複雑にからみあう動物や植物文様が描かれている。ジャータカや説話は一連の絵物語としては描かれずに,場面場面がきれぎれに描写されて,人物などは楕円形に配置されるなど部分的構図ごとの独特な遠近法が用いられている。第1窟には日本の仏教美術にもみられる蓮華を手にした蓮華菩薩のほかに,女性楽師たちに囲まれて踊る娘や王と王妃が会話する宮廷の生活が壁面に描かれている。第2窟ではジャータカより題材をとったマーヤ王妃の仏陀懐妊,仏陀の誕生が描かれ,浮き彫りの彫刻には子供を抱いた王妃と王の図がある。第16窟は仏伝が多く描かれる。仏陀の異母弟ナンダとの別れを悲しむ妻スンダリー王女,弓を引くスィッダールタ王子などである。5世紀に開窟された第17窟のヴィハーラは最も良く壁画が残っていて有名である。スィッダールタ王子とヤショーダラー姫の宮廷生活,悟りを開き托鉢しながらカピラ城へ戻った仏陀を迎えるヤショーダラー姫と息子のラーフラ王子,宮廷の楽師たちと踊り子。それにシンハラ王朝の創始者ヴィジャヤーがシュリ‐ランカーに上陸する図などがある。彫刻ではチャイティヤの第19と26窟の外面に数多くの仏陀像が並ぶ。第26窟の内には涅槃像と瞑想中に悪魔の誘惑と闘う仏陀像がある。壁画は開窟後も7世紀まで描かれつづけられるものの,アジャンタ石窟寺院址群を飾る窟院内外壁の彫刻と壁画はそれぞれの窟院が活動していた当時の仏教のあり方,あるいは仏教徒の仏教に対する考え方を表出している。また,当時の生活の様子や音楽,舞踊をも描き出していて,歴史的にも芸術的にも貴重なインド古代絵画・彫刻の遺産である。

〔参考文献〕高田修・田枝幹宏『アジャンタ』1971,平凡社

佐和隆研編『インド』世界美術大系7,1962,講談社

静谷正雄『インド仏教碑銘目録』1979,平楽寺書店

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