●阿史那氏 あしなし
アジア トルコ共和国 AD
6世紀中ごろから744年までつづいた突厥(とっけつ)可汗の氏族名。トルコ民族。この氏族(および部族)は,初めアルタイ山脈の西南で鍛冶をもって柔然に隷属していた。族長土門(Tuman,万人長の意)のとき鉄勒(てつろく)を伐って5万余をことごとく降伏させ,一躍強盛となった。西魏の長楽公主を迎えてこれと連携し,柔然王を自殺に追いやり,552年(?)自ら汗を称した。これが突厥初代の伊利可汗である。これより可汗は鋭意拓彊につとめ,弟の褥但(じょくたん)可汗(室点蜜,ビザンティン史料のディザブーロス)を西方に派遣し,西トルキスタンの経略にもあたらせた。突厥は一時大いに勢威を振るったが,その基盤は強固とはいえず,やがて汗位をめぐる争いによって東西両突厥に分裂した。加えて鉄勒諸部の台頭,隋・唐の離間策などが相次ぎ,東突厥は630年に滅亡し,また,西突厥も唐の西域経営が進むにつれ,弱小な傀儡政権と化してしまった。東突厥の滅亡後その旧地は唐の支配下に置かれたが,その間しだいに独立の機運が兆し,682年には阿史那骨咄禄が反旗を翻し,弟の黙啜とともに突厥の再興をめざし東西の経略に力をそそいだ。この事業は,骨咄禄の子ビルゲ可汗・キュル=テギンらによって継承されたが,諸部族間の争いのため長くはつづかず,744年突厥は滅亡した。