50音順    検 索

●足利義視 あしかがよしみ

アジア 日本 AD1439 室町時代

 1439〜91(永享11〜延徳3)室町時代後期の武将。6代将軍義教の子,8代義政の弟。通称今出川殿。はじめ出家して浄土寺門跡を継ぎ,義尋と称した。義政に男子出生が遅れ1464年(寛正5)後嗣と定め還俗するが,直後に義尚が生まれ将軍家の家督争いに発展,応仁の乱の直接の原因となる。はじめ義視は東軍に属したが,1467年(応仁1)9月伊勢国に逐電。翌年帰京したが再び比叡山に逃れ,結局西軍に擁立され,以後応仁の乱は義政と義視の対立となる。1477年(文明9)義視は西軍の将土岐成頼と美濃に下り,ここに応仁の乱は終わった。1489年(延徳1)将軍義尚の死後,息子義材が将軍跡目として上洛,再び出家して道存と号し義政と和解した。翌年義政の死後義材が将軍継嗣になると,義視は大御所として幕政をとり,ついで三宮に准ぜられた。こうして義視は幕府の実権をにぎるが,翌1491年(延徳3),奇しくも兄義政と同じ日に病没した。