●足利義尚 あしかがよしひさ
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1465〜89(寛正6〜延徳1)室町幕府の9代将軍(在職1473〜89,文明5〜延徳1)。8代義政の子。母は日野富子。のち義煕(よしひろ)と改名。義政が義視を後継者と定めた直後に誕生し,富子が義尚を後継者にしようとしたことが,応仁の乱の直接の原因となった。1473年(文明5)応仁の乱のさなかに将軍となり,富子が後見した。富子は義尚の将軍教育にも熱心で,『樵談治要』『文明一統記』は,富子が義尚のため一条兼良に依頼して選述させた政治教育の書である。ただし義尚は富子に反抗することもたびたびあった。応仁の乱によって凋落した幕府威信の回復をめざし,1487年(長享1)近江守護六角高頼討伐の軍をおこし,自らも近江に出陣した。しかしはかばかしい戦果をあげ得ないままに,1489年(延徳1)3月26日近江鉤(まがり)の陣中で病没。義尚は和歌をよくし,家集『常徳院集』(常徳院は法号)がある。