●足利基氏 あしかがもとうじ
アジア 日本 AD1340 南北朝時代
1340〜67(暦応3・興国1〜貞治6・正平22)南北朝時代の武将,鎌倉公方。足利尊氏の4男。母は北条久時の女登子。1349年(真和5・正平4)兄義詮に代わって鎌倉公方に任ぜられ,足利直義の養子となって下向した。翌年から尊氏と直義が対立する観応擾乱がはじまり,1352年(文和1・正平7)元服の翌日養父直義が殺され,肉身が抗争する辛酸を体験した。翌年から6年にわたって武蔵国入間川に在陣(入間川殿とも呼ばれる),関東における南朝の中心勢力であった新田義興をほろぼし,関東武将の多くが基氏のもとに集まるようになった。1361年(康安1・正平16)には基氏に反抗した執事の畠山国清を伊豆に討ち,ついで関東の武将の信望あつい上杉憲顕を執事とし,鎌倉府の基礎を固めることに尽力した。観応擾乱を体験しただけに,兄義詮とよく協調し,関東における幕府の支配体制確立につとめたわけである。禅僧義堂周信にふかく帰依したことでも著名。