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●足入れ婚 あしいれこん

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 通俗的には未婚の女性のもとに試験結婚のごとく男性が住み込み,気に入らなければ結婚にいたらないまま去らざるをえないといったあり方をいう。女性の人権を無視した封建的な慣行であり,悲劇が絶えなかった。

だが,足入れ婚はもともと性的な好奇心の対象に限定される奇習といったものではなく,婚姻制度において古代的な婿入り婚と近世的な嫁入り婚の中間にある過渡的な形態とみなされるべきである。先の通俗的イメージは,嫁入り婚が一般的である地域での例外的なケースとして多くの地方でみられたものであり,それゆえ抑圧された印象が強いが,必ずしも本来の形態を代表しているわけではない。むしろ異例である。

 先行する形態である婿入り婚では,婚姻成立の祝い事や夫妻の寝所は妻方の家が主になる。逆に歴史的な流れが嫁入り婚に移ってからは婚姻の祝い事,夫妻の寝所ともに夫方の家に中心が置かれる。これは単なる結婚の形式的な変遷ではなく,背後には家族制度の移行・変化がある。家族の中心が父であり,男系に財産が継承されていく父系制社会は,比較的新しい形式であって,歴史的には母系制が先行する。明治時代におけるウーマン=リブの先駆者平塚らいてうが〈原始,女性は太陽であった〉というのはこの意味であり,多くの恋愛贈答歌を生んだ平安貴族の妻問い婚は,母系制のしきたりを後代まで残していた実例にほかならない。婿入り婚・嫁取り婚といっても,要するにこの家族制度の変化をそのまま反映しているのである。足入れ婚はこの過渡的形態であって,婚姻成立のお祝いは婿方が儀礼をつかさどるが,夫妻の寝所の家に置かれる,といった折衷的なあり方になる。さらにしばらくして寝所が夫方の家に移るという過程をあわせもつ。婚姻の祝い事自体は簡素であって,逆に嫁引き移り祝いは盛大な儀式となる。この二つの式は,長い月日を隔てて行われる。たとえば近年まで伊豆諸島では,夫方の祝い事,妻方の居住ののち,夫方の家における主婦としての実権が嫁に移ったとき,寝所の夫方の家への移動が行われたのである。

 足入れ婚は婿入り婚姻が嫁取り婚姻に移行する過渡的な形態ではあるが,前記実例にみるようにどちらかといえば婿入り婚にきわめて近いと考えるべきであろう。家族制度や土地・財産の所有が父系制に移行してのち,さまざまな理由で母系制の婚姻形態だけが父系制の上に残されたと考えることもできる。この理由のうち最もみやすいのは嫁(女性労働力)が家庭を支える重要な経済的担い手となっている場合で,たとえば海女(あま)の多い村や,古い時代から女性行商人の盛んであった地方に根強く足入れ婚が残されてきたのである。

 なお多くわが国と共同の風習的祖型をもつ朝鮮には,足入れ婚の源流である東牀礼(とうしょうれい)が今日に残されている。結婚の日,婿は嫁の実家に出かけて儀式のあと数日,ときには数カ月も長逗留をつづける。この間に東牀礼が行われることになる。嫁方の親類縁者や村落の若者たち,あるいは夫方の友人知己などがみなで夫を縛ったり足を吊り上げたりなどの暴力行為(の形式)を働く。ころあいをみて嫁方の家から全員に酒食がふるまわれ,許しが乞われるとともに儀式は終わり,和気あいあいとした祝い事の宴に移行するのである。これは未婚の女性を村落共同体の共有財産とみなす古い,封建遺制的な心情の比喩的な行動表現でもあるだろうが,その根本にあるのは父系制社会における婿入り婚の混合という一種の矛盾の演劇的な共同表現にほかならない。すなわち足入れ婚と近接した風習と考えられるのである。

 足入れ婚の語義については,専門家の大間知篤三氏によると〈ある期間婿が嫁のもとへ通い,やがて嫁が婿方へ引き移る時に披露(ひろう)の式があるが,そのはじめの儀式をアシイレともよぶ〉と述べている。アシイレ,ハシトリ,デイリゾメなどともいう。