●朝倉敏景十七箇条 あさくらとしかげじゅうしちかじょう
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越前国の守護から戦国大名となった朝倉孝景は幼名敏景といったことから,朝倉孝景条々を普通こうした名称で呼んでいる。これは家訓スタイルで孝景の晩年に制定されたもので,国人・地侍の塁館建造を禁止し,一乗谷の移住などを規定した。下剋上の大名にふさわしいもので旧俗打破の色彩は強く,人材の登用・迷信打破の方向を強く示したものである。その上道徳法的色彩も残り,民政・節倹についての心得まで書かれている。しかし戦国に各分国法の初期のもので,朝倉孝景が相続人民景に与えた17条だが(1本は16条のものもあり)家訓的で,簡潔で要領はよいが,心得的にすぎ,領国文化の育成・裁判の厳正・他国への警戒のごとき戦国大名の心得諭し書的なところが強い。その成立の時期は1479年(文明11)以降1481年(文明13)までのあいだと考えられる。別名には「朝倉英林壁書」「朝倉英林入道子孫へ一書」「朝倉敏景条々」ともいっている。