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●赤穂事件 あこうじけん

アジア 日本 AD1702 江戸時代

 1702年(元禄15)12月14日夜(15日早朝)江戸の吉良義央(上野介)邸討入り,旧主浅野長矩(内巨頭)の仇討ちを遂げた大石良雄ら46人と仇討ちのとき姿を消した寺坂吉右ヱ門を含めて47名といわれる。これは前年3月勅使江戸下向のとき馳走役となった浅野長矩は礼式指導役吉良義央の侮辱を怒って殿中(江戸城中)で切りつけたため,切腹を命ぜられ,浅野家は所領を没収された。そこで赤穂義士は復警を誓って,家老大石良雄らを中心にして本所松坂町吉良邸を襲い,吉良義央の首級をあげた。この処分をめぐって当時の学者たちのあいだでは両派に分かれて論争が行われている。この事件の原因については[1]突然逆上説,[2]神経衰弱的急性神経病症説,[3]吉良の浅野夫人恋慕説,[4]赤穂の塩田作法を教えぬ説,[5]赤穂塩吉良塩競争説とあり,家臣団の討入りに関しては[1]再就職希望説,[2]大学擁立説,[3]怨恨はらし説とがあり,さまざまな議論が昔から繰り返されている。歌舞伎に上演されてた当時より有名。

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