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●上げ米 あげまい

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 享保改革初期に徳川吉宗が,幕府財政の窮乏緩和のために諸大名に命じ,高1万石に対し100石の割合で,米を幕府に上納させた制度。17世紀末とくに元禄期以来の幕府の恒常的な財政赤字を背負いこんだ8代将軍は,そのために旗本・御家人の俸禄支給すら事欠く状況に鑑みて,1722年(享保7)6月老中水野忠之をして,諸大名に対し上げ米と称し,毎年知行高1万石につき百石ずつの米を差し上げるように達した。その代償として,諸大名の参勤交代の江戸在府期間の半減を許した。定席・江戸在役など上げ米の義務のない大名なども,規定の3分の1,「少々」の上げ米を命ぜられた。このとき吉宗は,〈御恥辱を顧みられず仰せ出だされ候〉(『御触書寛保集成』)と,切々と苦悩を訴えた。上げ米の総額は年に18万7000石(幕府貢租の約1割)にのぼり,幕臣に支給する切米,扶持米の約5割に相当した。しかし参勤交代は大名課役であり,最も有効な大名統制手段であったから,幕府の財政事情の好転しはじめた1730年(享保15)4月,翌年より上げ米の制を廃し,参勤交代も旧に復すると達した。また佐賀藩・柳川藩などなどでも,同様の政策が実施された。