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●明智光秀 あけちみつひで

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 ?〜1582(?〜天正10)安土桃山時代の武将。通称十兵衛。後世の『明智系図』には土岐氏の一族で1528年(享禄1)生まれとするが,その出自も経歴もはっきりしない。1568年(永禄11)7月,足利義昭が越前朝倉義景のもとから織田信長を頼って美濃へ赴いたとき,その仲介役を果たし,以後,義昭と信長の双方に仕えたものと推定されている。信長上洛の翌年(1569年)京都奉行の1人に任ぜられ,1570年(元亀1)近江坂本城主。1575年(天正3)改姓して惟任(これとう)日向守を名乗る。丹波攻略に功あり,亀山城・福知山城などを築き同国を支配。1582年(天正10)羽柴秀吉の毛利征伐支援に出陣の途中,6月2日京都本能寺を急襲,宿泊中の信長を自刃せしめ,京都に軍政を布く(本能寺の変)。しかし,同月13日,山崎の戦いで秀吉軍に惨敗,坂本城へ逃走の途中,小栗栖で農民に襲われ殺された。主君への反逆の理由として,怨恨説・権力への野心説などがあるが,真相は不明。

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