50音順    検 索

●アクロポリス

ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD 

 アゴラ(広場)・城壁とともに古代ギリシアの都市国家ポリスを構成する最も基本的装置となった小高い丘。城塞化された防衛拠点,最後の避難所でもある。国家的崇拝の中心地として一般に国家守護神やそのほかの神々の神殿・彫像・聖所・廟などがあるが,コリントのアクロコリントのように単なる山であることもある。当初は単にポリスと呼ばれたが,都市国家が成立してポリスと呼ばれるようになるとアクロポリスと呼ばれるようになった。ネクロポリス(墳墓),アゴラと並んで遺物遺構の出土も多い。

【語義】アクロンは山頂・頂点・岬・先端などを意味し,ポリスは町・都市・国などを意味するので,「高い町」「上の町」の意味であるが,要塞・城をも意味する。ミケーネのアクロポリスは王城そのものであり,アテナイのそれもエレクテウス以下の諸王の居城であったと伝えられる。ポリス成立期以前の王城がのちに国家のシンボルとしてのアクロポリスになったと思われる。ホメロスの『イリアス』ではアクレー=ポリスという分離形でしか現れないが,『オデュッセイア』ではアクロポリスとして現れ,「魂のアクロポリス」「肉体のアクロポリス」のように比喩的表現にも用いられている。

【アテナイのアクロポリス】ケピソス川イリッソス川の流域にひらけたアテナイ平野の中心部に位置し,リュカベットスの丘からニンフの丘にいたる一連の小群丘のなかにある。とくに東から西ヘアクロポリスの丘アレイオス=パゴスの丘・プニュクスの丘とつづく連丘は崇拝・評議会・民会の場所としてアテナイの宗教や政教の中心をなした。アクロポリスは旧市域のほぼ中心,ペルシア戦争テミストクレスによって拡大された新市域では中心よりやや南寄りに位置する。アクロポリスの北麓にはアゴラ・諸神殿,プリュタネイオンやブーレウテリオンなどの政庁・裁判所が集中し,南麓にはペリクレスのオデオン,ディオニソス神殿と劇場,アスクレピオス神殿・エウメネスの柱廊・ヘロデス=アッティコスのオデオンなどがある。丘への登り口は西側にあり,石段がプロピュレイオン(楼門)やニケの女神殿に通じている。北東南の3面は垂直に近い絶壁になっていて,丘の上は南北150m,東西270mの歪んだ五角形の平坦地で,中央部南側にパルテノン,北側にエレクティオンがある。パルテノンと楼門のあいだにはアテナ=プロマッコスの巨大な像,アルテミスの聖所,カルコテケなどがあったが,現在は存在していない。標高60m。

パルテノン神殿】アクロポリスで最大の建物,すべてペンテリコン大理石ででき,東西に縦30.8m,横69.5m,内室にはペイディアス作の大アテナ女神像が立ち,屋根の破風には東側にアテナ誕生,西にアテナイをめぐるアテナとポセイドンの争いが描かれ,メトープスにはケンタウロス族とラピトスたちの戦闘が描かれていた。パルテノンの初期神殿の礎石の上に前447〜前432年にペリクレスの指導下,建築家イクティノスやカリクラテスによって建築された。

【歴史】アクロポリスにはすでに新石器時代の壁,ミケーネ時代の城壁が認められる。伝説はケクロプスの12都市の一つに数え,エレクテウス王が城館をもったと伝える。テセウス王はここを拠点にアッティカを統一し,シュノイキスモス(集住)を実施した。以後,王権は貴族政期までここを根拠地とした。前632年には貴族のキュロンが僭主をめざしてアクロポリスを占領し,前510年には僭主一族がここに籠城し,いずれも失敗するが,アクロポリスの占領とアテナイの統治とは密接な関係があったようである。ペイシストラトスは僭主の名声と人気を高めるためにアクロポリスの美化につとめたが,前480年のペルシア戦争時に占領され,建物が木造であったせいか全部が灰に帰したといわれる。戦後,石造建築による再建がすすみ,ペリクレス時代に最も輝かしい時代を迎えた。

01

02

03

04

05

06