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●悪魔 あくま

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 一般には,人にわざわいを与えたり,悪の道に誘い込む魔物のことをいう。英語ではデモン(demon)・デビル(devil)といわれ,ときにはサタン(satan)ともいわれる。これらの区別ははっきりしないが,デビルはギリシア語のディアボロスに由来し,「悪口を言うもの」の意味で,サタンの手下で神と敵対する悪鬼や悪霊のようなものである。デモンはギリシア語のダイモンが語源で,超自然的存在や精霊を意味していた。これは元来,ソクラテスの場合にみられるように悪魔だけでなく善神としても機能していた。しかしキリスト教の発展に伴い,キリスト教以外のものがすべて異端となり,善神としての機能はうすれ邪悪な存在になっていった。このようにキリスト教においては,神と悪魔の区別ははっきりしているが,未開民族や各地の民間信仰のなかにはこの区別があいまいなものも多い。各地にみられる民間伝承による悪魔の観念はさまざまであり,悪魔・悪鬼・死霊などが入りまじっている。悪魔信仰は各地,各民族で社会生活に大きな影響を与えているのである。悪魔は悪の表象としてさまざまな図像に表され,古くは,ヘビ・龍・獅子などで象徴されていたが,9世紀には黒い天使として現れ,11世紀になるとさまざまな怪物の姿をとるようになった。小説においても悪魔は重要な役割をになっており,人間の罪と神の恩寵を描くドストエフスキーの作品にとくに顕著に表れている。また世紀末のフランスにおこった悪魔主義なる文芸思想を忘れてはなるまい。これはダイヤポリズムと呼ばれ,悪魔的精神により耽美をさらにつきつめ頽廃・怪奇に美を見出そうとするもので,ポー・ボードビール・ワイルドなどが代表的な作家である。

【ユダヤ・キリスト教の悪魔】悪魔はユダヤ・キリスト教では悪や不義を擬人的に表したものとされ,聖書においても堕落した天使・悪鬼・悪霊などと呼ばれ,神の敵対者となっている。悪魔も大軍をなしているといわれ(ルカ;18),その長としてサタンやルチフェルがある(マテオ25;41)。しかし悪魔は究極の支配者ではなく,キリストもその存在を認めている。キリストに敵対する悪魔は,世界の終末までは人類の試練としてその活動が認められるのである。〈なんじらの仇たる悪魔は,ほゆる獅子のごとく食いつくすべきものを捜しつつ行きめぐる〉(ペトロ前書S:8)。エデンの園以来,悪魔は原罪をになう人間をさそい罪を犯させる役割を演じている。人間はこの誘惑に神の助力なしでは打ち勝つことができないので,神は悪魔の存在を放置しているのである。キリスト教美術でも悪魔はさまざまに描かれている。たとえば,龍の形をした悪魔であるサタンと闘っている“聖ミカエル”,好色と大食の悪魔を表す豚がともに描かれる“聖アントニウス”,蛇の姿をした悪魔をふみつけている“聖母マリア”,天国と地獄を描いている“最後の審判”,キリストを誘惑する悪魔の図(マテオ4)などが有名である。

【仏教における悪魔】仏教では,悪魔はサンスクリット語の魔羅ともいわれ,仏教修行を妨げる悪神とされ,papiYas(一層邪悪なる)という語を伴って用いられる。仏教の魔とは,天界にあって人間にわざわいを与える霊鬼のようなもので,インドの民間信仰にもとづくものといわれている。パーリー語の仏典では,相応部の魔相応にある。日本でも悪魔は邪悪な霊的なものとして考えられているが,民間信仰における悪魔も魔の一種とみてよいだろう。

【イスラームの悪魔】イスラームではジンと呼ばれる。ジンは悪魔だけでなく,善なるものとしても機能している。悪いジンはイブリースと呼ばれ,ギリシアの悪魔ディアボロスにあたる。イブリースはアラビアの民間信仰に由来するといわれ,人間を誘惑し罪を犯させるものと信じられている。こうした罪から逃れるにはコーランの教えに従わなければならないのである。