●赤松満祐 あかまつみつすけ
アジア 日本 AD1381 南北朝時代
1381〜1441(仏和1・永徳1〜嘉吉1)室町時代中期の武将。播磨の国の守護大名赤松義則の子。大膳大夫。1427年(応永34)父義則の死去のあとを継ぎ,播磨・備前・美作の守護となったが,同族赤松持貞が将軍足利義持の寵愛をうけ,義持は播磨を御料国として代官職に持貞を任じようとした。満祐は怒り都の自邸を焼き,播磨へ帰り,坂本城に拠り幕府へ反乱を企てたが,それを討とうとした幕府内で,管領畠山満家が満祐に同情したため,持貞は自害させられ,満祐は謝罪し剃髪して性具と称する。翌1428年(正長1)義持急逝し弟義教が将軍となり,満祐は侍所領人となる。この年播磨大一揆発生,下国鎮圧した。その後義教とも対立する。満祐は1440年(永享20)出仕をやめ,結城合戦祝勝の宴をかりて,自邸に義教を招き,殺害し,自らは再び坂本城に拠って反抗したが,今度は幕府追討軍のために敗北,落城させられ,嫡男政康を脱出させた上,自らは自殺して果てた。