●青物市 あおものいち
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近世都市の成長に伴い,その近郊村々に市民に青物類(野菜)を供給する青物作地帯が形成されてきたが,その円滑な流通をはかる市場。江戸では戦国末期に駒込市場,近世初期には神田市場,幕末期には千住市場が開設,市場の拡大に伴い,その他本所・京橋・品川などにもできた。大坂では17世紀初めにその周辺部に青物栽培が盛んとなり,川船などの流通機関の整備・発達により迫車がかけられた。1653年(承応2)市中の摂津・河内の村々と川船の便がある天満に常設の青物市場が公許されて,激増する市民の需要に応えた。その他,京都の八百屋町,名古屋の枇杷島市場が名高い。これらの市場は幕府の統制のもと,株組織で運営されたが,近世中期になると人口の増大,商品経済の発達に伴い,市場とは別の農民の手による青物立売りを行う百姓市が発生し,既設の青物市場とのあいだに市場権をめぐる闘争が激化した。近世後期には公許市場の規制が弱体化し,株組織も侵されて自由取引の方向にすすみ,明治期を迎えた。〔参考文献〕脇田修・小林茂『大阪の生産と交通』毎日放送文化双書 14・1973
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