●アウン=サン
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1915〜47 ビルマ独立運動の指導者。マグエ県ナッマウ町出身。1937年ラングーン大学卒業。ビルマ独立をめざす政治結社「われらビルマ人連盟」に入党,タキン=アウン=サンと名乗る。1940年逮捕状を逃れて厦門へ密出国,参謀本部の鈴木敬司大佐の手引きで来日。1941年「南機関」の協力でビルマ人青年30人を脱出させ,海南島で軍事訓練を受ける。同年末「ビルマ独立軍」を編成,日本軍とともにビルマに進撃する。1942年改編された「ビルマ防衛軍」の司令官に就任。1943年バモー内閣の国防相。1944年抗日戦線「反ファシスト人民自由連盟」を結成,1945年3月蜂起する。1946年行政参事会副議長に任命される。1947年1月ロンドンでビルマ独立を規定した「アウン=サン=アトリー協定」に調印。2月少数民族との統合をはかるパンロン会議開催,4月総選挙,6月制憲議会開会と独立準備を推進したが,7月19日他の閣僚6名とともにウー=ソーの手下によって暗殺された。