●アイヌ文化 アイヌぶんか
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近世以降とくに明治以後の和人(わじん)の侵入は,それまでのアイヌ民族の文化を根本から崩壊・変容させてしまい,現在では言語や儀礼,生活習慣など,わずかに古老の記憶に残る程度である。このような状況のなかで,崩壊・変容する以前の文化全体を再構成することはきわめて困難なことであるが,古文献や調査報告によれば,次のようになっている。【食料の獲得・食生活】クマ・シカ,地域によってはオットセイ・アザラシ・トドなどの陸海獣類,サケ・マス・カジキマグロなどの魚類のほかウバユリ・カタクリ・ギョウジャニンニクやクリ・クルミ・ドングリ・ヒシなどの実がおもな食糧であり,補助的にアワ・ヒエなどの農耕も行われたが,なかでもシカとサケが主要な食糧源であった。シカ猟は弓矢によるほか,断崖から追い落としたり,水上に誘い出して動きを鈍らせて獲る方法などがあり,サケは河川にそ上してきたものを独特の魚鉤(マレック)でひっかけたり,川に梁(やな)を作って獲った。季節ごとの生業のサイクルは,春季が成年男子による狩猟,女たちは食料植物の採集。夏期は漁労が中心。秋季はとくにサケ漁とシカ猟である。
食事は汁と粥(かゆ)が主体。回数は朝夕の2回であるが,地方により差があった。調理は獣肉は煮汁が一般的だが,シカやクマの内臓は生で食べた。魚類は串刺しにし焼いて食べたり,乾魚にしたものを煮汁で食べたほか,サケの身を寒中で凍らせて食べることもあった。調味は獣脂・魚油・海水(塩)など。このほか,酒は本州からの交易による清酒,ヒエ・アワで作る自製の濁酒があり,儀式では後者が尊ばれた。また,越年や非常時の食料として,乾燥させたり燻製(くんせい)にしたりした獣魚肉や,植物から採ったデンプン,木の実などを貯蔵した。
【衣生活】古くはクマ・シカ・イヌ・アザラシなどの獣皮,サケ・イトウなどの魚皮,エトピリカ・カモなどの鳥皮,オヒョウニレ・シナ・イラクサなどの植物繊維が衣類の原料であった。江戸時代に入り,少しずつ木綿や絹糸,古衣が入手可能となり,前三者はしだいに姿を消した。上着・肌着・手袋・手甲・脚絆・頭巾などがある。儀式の際に着用する上着には,切伏(きりふせ)や刺繍により独特の文様が施される。オヒョウニレやシナの内皮で作った衣服をアットゥシと呼んでいる。裸足が一般的だが,山に入るときはブドウヅルのわらじ,冬期には獣皮,サケ皮で作った防寒用の靴をはいていた。
【住生活】樺太や千島では,明治に入ってからも半地下式の穴居が使われていたが,北海道内ではカヤまたはササで屋根や外壁を葺いた住居が一般的であった。柱材の選択には注意を払い,カバやドロは腐りやすいので避けた。計測は手が基準となる。部屋は居間兼寝室の1部屋のみで,中央に炉を設け,炉を中心として家族および来客の席序が決まる。東壁に神聖視される神窓(ロルンプヤル)があり,その外に幣棚がある。戸外には幣棚のほか,クマ檻と保存食のための倉,便所があるが,前2者は主人の座から鼻窓(エドモンプヤル)を通し,直接監視できる位置にある。
【信仰】宇宙は〈天上の世界〉〈地上の世界〉〈地下の世界〉に分かれている。〈天上の世界〉のさらに上には天界を所有する神が,〈地下の世界〉には死者の霊魂が住む。動植物,器物,自然現象などすべてのものの霊魂はこの世とあの世とを幾度も往復するものであり,その強さは人間との力関係により決まる。こうした観念からさまざまな霊送りが行われる。なかでも村落の守り神であるシマフクロウ送り,山の神であるクマ送りが重要であった。こうした儀式に用いられるものに木幣(イナウ)があるが,これは神々へのみやげものとして捧げられ,人々の祈願を神々へ伝える役目をもっている。また神々ヘ酒を捧げる際に使う捧酒箆(イクパスイ)いわゆるヒゲベラも,祈りを伝える伝令媒介の役目がある。
【社会】家族の基本は1組の夫婦と未婚の子女からなる。これに配偶者をなくした祖父母が同居することもあった。結婚は本人同士の意志が尊重されたが,いいなずけが決められていることもあった。ただし自分の母親と同一の系統(フチイキリ)に属する女性との結婚は禁じられていた。同一のフチイキリの証として,母親は娘に自分の系統に固有の下帯(ウプソル)の作り方を伝授する。このフチイキリは婚姻のほか,財産の相続,出産・葬儀の手伝いなどに意味をもっていた。これに対し,男子の系統をエカシイキリといい,イナウなどに付す祖印(イトクパ)を共通にし,これに従って財産やクマ穴などの猟漁場が相続された。集落(コタン)は1軒〜10軒前後で構成され,その分布はサケの産卵床など猟漁場の位置と関係がある。中河川の川筋などコタンの人々が生活資材を得るための一定の領域(イオル)が定められており,そこでの資源はそのコタンが独占する場合と,他のコタンと共用する場合とがあった。資源の利用に関しては,その保全を目的としたと考えられるきまりや慣習があった。各コタンには,長(コタンコルクル)がおり,儀式の司祭,コタン内外の争議の調停,共同労働の指揮などにあたった。とくに狩猟採集経済に立脚したイオルの構造は,和人の侵入により急速に崩壊していった。
【葬制】墓地はコタンに近い山腹や立陵上が選ばれた。埋葬は土葬であり,仰臥伸展葬がほとんどである。頭の位置は東南東〜南東を中心に東方向であるが例外もある。木製の墓標を立てるが,これには地方また男女の差がある。副葬品にも時期差・地方差・男女差があるようで,男性は弓・矢・太刀など,女性は鍋・鎌などであり,煙管・漆器類・刀子などは共通していることが多い。17世紀以降になると本州からの交易品が多くなる。葬儀の始終にはしきたりがあり,服喪は2〜3年であるが寡婦には厳格であった。
【交通】水上での交通手段は丸木舟・樹皮舟・仮綴舟など。冬期の陸上交通はかんじき・山杖などのほか,とくに樺太では,犬橇や短いスキーも使用した。交通路は海岸・河岸沿い,山間では尾根筋であった。
【言語】北海道方言と樺太方言とに大別され,さらに地方の方言に細別される。日常会話(口語)とユーカラなどで使われる雑語とがある。日本語とのあいだに借用語の相互関係がみられる。系統には定説がない。
【文芸】文字がないため,口伝えの口承文芸がある。韻文の物語と散文の物語とに大別され,前者は神々の物語と人間の物語に,後者は神々・人間の昔話のほか,伝承・伝説にわかれる。神々の物語は,神々の由緒や功徳を語ることで,アイヌ民族に伝わる儀礼や信仰の故事来歴が述べられるが,同時に,人々が守るべき教訓ももりこまれており,社会における法的規範,道徳律の役目も果たしていたと考えることができる。音楽は子守歌や労働歌など歌謡が中心。楽器にはムックリ(竹製口琴)やトンコリ(二弦琴)などがある。舞踊には悪霊払いや祈願のためのもののほか,余興的なもの,動物の動作をまねたものなどがある。
なお,アイヌ文化関係資料の展示・収集を行っている博物館としては,国立民族学博物館(大阪),東京国立博物館,北海道内の主要な博物館,とくに平取(びらとり)町・弟子屈(てしかが)町・白老(しらおい)町・静内(しずない)町にはアイヌ文化中心のものがある。
〔参考文献〕アイヌ文化保存対策協議会編『アイヌ民族誌』1969,第一法規
萱野茂『アイヌの民具』1978,すずさわ書店
久保守逸彦『アイヌの文学』1977,岩波書店(新書)
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