50音順    検 索

●アイスランド

AD 

 北大西洋上の火山島。

【開拓期】4世紀ごろから船乗りたちのあいだではその存在が知られていたが,9世紀にアイルランドの修道士たちが入植した。しかし彼らは,874年に,主として西ノルウェーから来たヴァイキングによって追われた。その後ハロルド美髪王(933年ごろ死)がノルウェー王となって,890年ごろシェトランド諸島・オークニー諸島にまで勢力をひろげたのに伴い,ノルウェーによるアイスランド入植が急速にすすんだ。このころの入植者たちは,豪族の保護下に広大な土地に恵まれ,たがいに自給自足する大豪族を形成していた。彼らの生業は主として漁業であったが,のちには牧羊を興し,経済条件も比較的良好で11,12世紀にすでに7,8万人の人口を擁していた。豪族たちはゴージと呼ばれたが,それぞれの地方で集会を興して,裁判・宗教上の指導者として各地の法慣行をとりしきっていた。930年に豪族たちは連合してアルシングという全国会議を構成し,ノルウェー法にならって立法した。しかし全国的統治機関はなく,各地の豪族たちが行政・裁判の責任を負っていた。

【キリスト教の伝道】10世紀末にはキリスト教が伝えられ,11世紀に入って,アルシングにおいて全住民がキリスト教徒となることがすすめられ,1056年にはスカラホールトのイスレイフル=イスレイフル=ギスラーソンがブレーメンで司教に叙任されて,アイスランドの最初の司教となり,教会の財政的基盤をととのえた。しかし教会の多くは豪族の保護支配下にある,いわゆる私有教会であり,聖職者と豪族とのあいだで争いが多かった。

【退潮期】13世紀に入ると経済活動は停滞して豪族間の抗争も頻発し,ノルウェー商人がアイスランド商業を支配して,1262〜1264年にはノルウェー王の支配下に入れられた。それを転機として,従来支配権を掌握していた豪族たちは,教会権の伸展とノルウェー王の役人たちの進出の前に後退していくこととなる。また気候条件の悪化や悪疫の流行によって農業生産も伸び悩み,一般にアイスランド社会の活力が失われていく。サガを中心とした文学も13世紀を頂点として停滞する。そして1383年から,アイスランドはノルウェーとともにデンマークに支配されることとなるが,司教や役人には外国人が任命されて,アイスランドの人々は重税と圧政に苦しむこととなる。1539〜1551年にデンマークの影響下にルター派の信仰を強制され,王と教会とがアイスランドの富の過半を占めるようになった。またアイスランド商業もデンマーク商人の支配するところとなり,デンマークの独占政策のもとにアイスランド経済は急速に悪化し,人口も5万人を割るにいたった。1750年代のスクーリ=スクーリ=マグヌスソンの産業振興策も,1770年ごろのイォン=イォン=エイリクソンの農業改善策も,デンマークの独占政策のために失敗した。

【19世紀以降】19世紀になるとアイスランドにも民族主義の風潮がみられイャーゲン=イャーゲン=イヤーゲンセンの独立運動は失敗したが,しかしイォン=イォン=シガーズソンは自由と自治を求めて活躍し,1843年にアルシングを復活し,1873年には自治権が認められるようになった。19世紀後半アイスランドはきびしい気候にみまわれて政治的不振に陥ったために,多くの人々が新大陸に移住したが,1886年に銀行が創設されて,漁業を初め国内産業の振興,国内の道路や港湾の改良がすすめられ,1907年には教育法も制定されて1911年にアイスランド大学が創立された。1918年にはデンマークと協定して,同君連合の条件で独立が認められたが,第二次世界大戦中,ドイツのデンマーク侵入に刺激されたイギリスがアイスランドを占領してデンマークとのつながりを断った。1944年デンマークとの協定の失効後,国民投票をへて,ピアーンソンを大統領として共和国を宣言した。1949年北大西洋条約機構に加盟し,1951年アメリカと軍事協定を結んだが,イギリスとのあいだの漁業係争を契機にソ連にも接近し,1953年ソ連と漁業協定を結んだ。