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●挨拶 あいさつ

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 人と人との対面に際して交わされる社交的儀礼。通例,人と会うとき,別れるときなどに現れる応対のことばや身ぶりをさす。「挨」も「拶」も原義は「押す」ことで,「挨拶」と重ねて「押し合う」ことを意味した。今でも禅宗では,入門僧に対して口述試験を課し,その受け答えを「一挨一拶」といって悟りの深浅を試すことがある。手紙の往復を「挨拶」と呼ぶのも古風な用法である。しかし現在では,挨拶を社会的・集団的生活における交際の一種とするのが一般的である。すなわち人と人とが付き合う上で,贈答・訪問・共食などとともに,欠かすことのできない義理とするのである。

【挨拶の種類】対面の際のことばや身ぶりには古来一定の作法があり,それらは職業・身分・年齢・性別・親疎などによってさまざまな変異を示した。そこで公家・武家社会では,この種の作法を専門的に講釈する礼式が現れた。すなわち有職故実(ゆうそくこじつ)と総称されるものがそれで,内部はいくつもの流派に分かれた。庶民社会の挨拶はきわめて変化に富み,同じ地域ても目的や状況によって大きく変わることはもちろん,季節・時刻・場所によっても少なからず相違するありさまである。これらを合わせて挨拶の表現としては[1]ことばによるもの,[2]身ぶり,つまり動作や態度によるものの2種に大別される。もちろんことばを主としつつも,これに特定の身ぶりが自然に伴う風である。徳島県祖谷山(いややま)地方で,いわゆる挨拶をモノイ(物言い)と呼ぶのは,年始礼の訪問口“ものもう”(物申う)と声を掛けるように,物をいうことがそのまま挨拶となったことを意味している。大分県北海部郡海辺(あまべ)村(現臼杵市)では,もと花婿が友人に連れられて許婚者の家に“お頼み申します”と挨拶に行くことを「物言い」と呼び,これで初婿入りの儀礼が終わり,それから1年とか3年とか妻問いをつづけるならわしであった。「物申い」が本来婚礼のような晴れの席でも欠かすことのできない重要な応対であったのである。

【晴れの挨拶】婚礼・葬礼などの通過儀礼,正月礼・盆礼などの年中行事などに見られるのが晴れの挨拶である。晴れの場におけるさまざまな義理が付き合い上とくに,重視されるように,挨拶も晴れの訪問や対面にあたって日常とは異なる特別な表現が必須とされている。挨拶のことばとしては,祝儀・吉事には“おめでとう”,反対に不祝儀・凶事には“ご愁傷さま”が基本となっている。晴れの訪問については,まず“ものもう”“どうれ”と古式どおりの挨拶を交わしたのち,本来の口上を述べるところも少なくない。そして身ぶりも,それらのことばに対応して祝意もしくは弔意を丁寧に表明しなければならない。晴れの挨拶は,日常とは改まって,形式をきわめて重視し,省略を許さないのである。単にことばを述べるだけでなく,それを文字にした「口上書」(こうじょうがき)を携え,あるいは「弔辞」などの文書を残す場合も少なくない。新しく仲間入りするときや未知の人に会ったときにする挨拶もふだんより重々しくしなければならない。若者組への加入にさいして,新入りが先輩の居並ぶ面前で,定まった挨拶のことばをすらすらいえるかどうか,一人ずつ試される習俗も伝えられている。芸能人の「披露」の口上にも定型化されつつも,厳粛な趣意が看取される。やくざ仲間の「仁義」も同じような雰囲気が醸されるようである。晴れの挨拶が様式化・定型化されるとともに,前述礼式が庶民社会にまで浸透することとなった。ところで,特定の晴れの場,たとえば新年の初参りや新生児の初宮参りなどにさいして,人と会っても挨拶してはならないとの禁忌が各地に分布している。これは沈黙によってのみ呪力が保持され,それを破れば神の祝福を受けられなくなるとの俗信によるものである。このような習俗は西欧社会にも珍しくなく,たとえば復活祭の朝,人に会っても挨拶せず,また挨拶されても黙ったまま,小川に行って汲んできた水を飲めば病気にかからないなどといわれる。いったいに挨拶のことばには呪術的・宗教的祝福の意味が込められた例が多く,フランス語の“メルシー”(merci),イタリア語の“グラツィエ”(Grazie)などはいずれも「神の恵みよ」と神に感謝することからおこったことばである。日本語の“ありがとう”も,元来は「ありえない」「あるのが不思議だ」と神や仏の徳をたたえ,「かたじけない」「もったいない」と喜びを表したのが,のちにお礼のことばに定型化したものである。東京都伊豆大島で“とうてやな”はお礼のことばであるが,同時に神仏や太陽を拝むときに発することばでもある。

【日常の挨拶】現在,日常繰り返される挨拶ことばはほとんど様式化・定型化されてしまっているが,元来はいずれにも微妙な心配りが含まれていた。“おはよう”は早朝の挨拶ことばで,「早く起きましたね」と相手の勤勉を誉めたたえる意味があった。石川県金沢市で“おひなりあそばいたか”,略して“おひんなり”というのも「もう起きられたか」と感嘆する挨拶言葉であった。少し時間がたつと,天候を取り上げたり,仕事ぶりをたたえたりする。“いいあんばいです”“よいおしめり”は天候について,“ごしょおだし”(兵庫県),“おせんどさん”(滋賀県)は仕事ぶりに触れたものである。昼ごろには,“飲まんしたか”(京都府),“お茶おあがり”(富山県)と,休息の茶を済ませたかと気に掛ける。午後には,“おあがりなさい”(千葉県),“おあげあんすたか”(岩手県)と骨折りをねぎらい,晩には“おしまいやす”(大阪府),“おしまいなさいまし”(静岡県)と思いやりを発揮する。さらに日が沈んで暗くなると,“お晩でござります”(富山県),“お晩になったなしい”(山形県)と敬語をつけて相手をいたわる風である。夜の“おやすみ”も,鹿児島県(こしき)島で“だーつやいもせ”“だーちー”,長崎県壱岐島で“おいざと”“おーざとう”と挨拶を交わすのであった。すなわち「何か事があればすぐ眼が覚めるように,気を付けてお休みなさい」と祝福の辞を交換するならわしであった。訪問については,“うちな”(福岡県),“いらしんすけ”(石川県)と在否を尋ねたり,“おゆるしな”(滋賀県),“おいろん”(山口県)と家に入る許しを乞うたりしたものを,ただ“はいっと”(岩手県),“よいと”(和歌山県),“ね”(千葉県)と短く声を掛けるだけのところも現れている。別れの挨拶には“またな”(大分県),“またあがりやす”(福島県),“おあすう”(山形県)と再会を約するものが多く,中国語やドイツ語などとも共通している。いったいに仲間内の日常挨拶は短く簡略化する傾向が強く,“おはよう”“こんにちは”“こんばんは”“さようなら”“ありがとう”などいずれにもそうした趣意が認められる。

【挨拶の身ぶり】日本では頭を下げ,腰を屈めてお辞儀をするのが挨拶の身ぶりである。これにも立礼と座礼による違いがあり,手の置き方,足の揃え方,座り方などにも一定の作法がある。またことばと同じく,身分や職業そのほかによる身ぶりの相違も少なくない。欧米社会では握手とキスが普及しており,握手は今や全世界に広がりつつある。しかし,挨拶の身ぶりは本来民族や部族による変異が著しく,たとえば「左手を胸まで上げる」(アラビア人),「両手を胸において頭を下げる」(トルコ人),「鼻をこすり合う」(ニュージーランドのマオリ族),「座って抱き合い,頭を撫で,肩を抱え.手を握り合う」(アイヌ族)といった状況である。エスキモー社会では,人に会うとよく笑うというが,それは対人関係に敏感で,他人との交際を損わないようにとの自己防衛的機能と,逆に相手に対して警戒心・不安感を取り除くようにと迫る攻撃的機能との両面を示すものと説かれている。このように身ぶりも元来,その場の状況に応じて,融和・信頼・恭順・畏敬などさまざまな社交的役割を果たしたものと考えられる。

〔参考文献〕柳田国男「毎日の言葉」『定本柳田国男集』19所収,1963,筑摩書房

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